村上隆は現代アートの世界ランキングで何位か


コンテンツ・ビジネス塾「現代アート」(2010-47) 12/14塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、村上隆
美術学校の生徒数で日本は世界のトップクラスなのに、世界で活躍している現代アーティストは少なく、10人ほどしかいません。そのトップが村上隆です。ゴルフやテニスの世界ランキングにたとえると、10位から20位ぐらいの実力があります(『芸術闘争論』村上隆 p.9、p.24 幻冬社)。
ところで現代アートとは何でしょうか。現代アーティストとしての実力とは何でしょうか。
5年前に村上隆は東京・六本木ヒルズに高さ7mのアニメキャラクターのようなフィギュアー(彫刻)作りました(『とんがり君と四天王』2005.7.20~9.25 六本木ヒルズ毛利庭園)。森タワーとテレビ朝日の間の庭園の池の真ん中に建てられたフィギュアーは、周辺の緑と調和し、喧噪の都会に静寂をもたらし、不思議な存在感をもって私たちに迫ってきました。
2、美と用と商
現代アートは、理解不能な抽象画を描き意味不明の造形物を作る、と私たちは考えがちです。しかし村上は、それは現代アートのルールを知らないからだ、と言います。そこで現代アートのルールに、「美」と「用」と「商」の3つのキーワードで挑戦します。
六本木ヒルズの『とんがり君と四天王』は、木でも金属でもない合成樹脂で作られたスーパーモダンな仏像です。21世紀の「美」があります。そして「とんがり君」を見た人はさい銭を投げました。シティボーイズ&ガールズに癒しを与え、祈りの「用」に役立ちました。さらに「とんがり君」はその後どこに行ったのか知りませんが、村上隆のフィギュアー作品『マイロンサムカウボーイ』が16億円で取引されたように、最低でも億単位の「商(あきない)」を成立させたはずです。
1)美・・・現代アートは描くことの断念から始まっています(前掲書p.89)。描くことはピカソがすべてをやってしまったからです。マルセル・デュシャンの『泉』は男性用の便器にサインして陳列しただけのものです。しかしそこにはさまざまなコンテキスト(文脈)がいくつものレイヤー(層)となって語られています。『泉』は、スカトロ(排泄物を崇拝するわいせつ趣味)の礼賛、美への反逆です。ペニス、男性社会の終焉です。エロスの断罪、絵画の断念です。テクノロジーの時代の到来、人類文明への疑問です。現代アートは描かずに新しい美を達成しました。
2)用・・・茶碗は美しいだけでなく食器としての用があります。ナイフもカメラもクルマもカッコいいだけでなくそれぞれの役割を持っています。現代アートは、陶器のようにフィジカル(物理的)ではなく、癒しなどのスピリチュアル(精神的)な用を果たしています。さらに現代アートはその大きなサイズで、美術館と富裕層の巨大なリビングのインテリアとしての用を果たしています(前掲書p.181)。
3)商・・・現代アートには、大衆のエンターテイメントとして増え続ける美術館の展示物としての需要があります。現代アートは高額で取引されています。そもそも「商」とは何か。近江商人は「三方よし」と言いました。「買い手よし、売り手よし、世間よし」です。この言葉の前には美も用もぶっ飛びます。アートは商です。いいアートは売れます。売れているものこそいいアートです。
3、現代アートのアーティスト
野球のイチロー、ゴルフの遼君のようなスーパースターは、現代アートでは村上隆だけです。なぜ日本では世界ランキングに入るようなアーティストが育たないのか。その原因は美大教育にあります。美大教育とは、自由=芸術=正義、というドグマ(独断)です。それは、芸術的発想、クリエーティブな思考法、自由な創造力と同じ、常識や既成概念に捕われず空を飛ぶ鳥のように「自由に作りなさい」というものです。村上はこうした美大教育を100%否定します(前掲書p.245)。なんとなれば、現代アートには表現のルールがあるからです。1)描くことを断念し、「美」を作る。2)空間を彩り、精神を満たす「用」を果たす。3)買い手、売り手、世間を「商」で満足させる。現代アートの国際ルールを知らない日本人アーティストは首輪のない野良犬だと、村上はいいます(前掲書p.67)。
なーんだ、日本が侵略されているのに検察が国内法で処理したと言う、日本外交と同じじゃないか。そうして日本人は私小説的な作品を作り続けているのです。表現に自由などはない。制約、ルール、緊縛の縄がある。だからアーティストはジャンプするんだ。それが作るということなのさ。