阿佐田哲也、平成にあんな男はいない。

コンテンツ・ビジネス塾「阿佐田哲也」(2011-21) 5/24塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、無頼
あれはたしか、天才棋士谷川浩司が名人への挑戦権を決める中原誠とのプレーオフの戦いの時でした。中原は前年に加藤一二三によって名人を奪われていましたが、A級順位戦で好成績を残し谷川と同率で並び、名人への挑戦権を争ったのです。申し訳ないが、その時の名人加藤は関係ありませんでした。この中原・谷川のプレーオフが実質上の名人を決める戦いでした。
王者中原に、21歳の若武者が戦いを挑み、将棋に新時代を開く。誰もがそのことを期待していました。そしてこの時代の変わり目を見逃してはならないと、将棋ファンのみならず、都会にたむろする無頼と不良が、東京・千駄ヶ谷将棋会館に集まりました。
将棋会館の2階では、二つの会議室で様々な棋士が入れ替わり立ち替わり、大盤解説を行っていました。小さな方の会議室にふらり現れた故芹沢博文が、ひと目盤上見て、こりゃ中原でしょう、と言い放っていました。人々は会議室からはみだし、廊下や階段の踊り場に溢れていました。そこには意外な人がいました。『麻雀放浪記』の阿佐田哲也、そのとなりに黒メガネの井上陽水。ギャンブラーは鋭い勘を持っている、麻雀の勝ち負けでなく、時代の行く末も読むことができるのです。
時代は無頼と不良の期待通りになりました。谷川は中原に勝ち挑戦者になり、加藤名人を難なく破り、史上最年少の名人になりました。
2、『いねむり先生』
伊集院静の最新作『いねむり先生』(集英社)は、ふたつの名前を持つ小説家、阿佐田哲也色川武大のことを書いたものです。小説ですがドキュメンタリーのような迫力があります。
1)なぜ、いねむり先生か。それは阿佐田哲也が「ナルコレプシー」という突然睡魔に襲われてしまう病気を持っていたから。2)いねむり先生を主人公に紹介した漫画家は黒鉄ヒロシ、先生の友人の歌手は井上陽水、がモデル。3)もちろん主人公のサブローは、伊集院静その人です。
主人公は女優と結婚しますが、わずか10ヶ月で妻を病気で失います。そしてアルコール中毒になり病院に担ぎ込まれます。退院はしますが、何も仕事せずに、麻雀、競輪、酒、放埒な生活を続けます。そんなときに、主人公はいねむり先生に会います。
主人公と先生は、ヒマを見つけては麻雀をし、旅に出ていっしょに競輪をします。
主人公は、かつていくつかの作品を残しながらも、自分には才能がない、小説は書けないと決めつけ、未来への展望のない荒れた生活を送っていました。黒鉄や陽水を思わせる友人たちが主人公にかける言葉がいいです。がんばれというのではありません。君のかつての作品は好きだよ。また書けばいいのにと、やんわりほのめかすのです。
先生は主人公の小説を読んでいました。才能を認めていました。しかし小説の話をすると避ける主人公の心を知って遠慮します。ギャンブルだけに話題を限定しました。しかしそのようなふたりの小説家の付き合いは、小説そのものでした。漫画を作る、歌を作る、小説を作る、作るもの同士の会話には、絶妙な距離感があります。思いやり、気遣い、さりげない無関心。どんなに親しくなっても、私的な領域に踏み込まない。ここには本当の会話があります。
3、死
昭和終わり、世が平成になり、無頼や不良はいなくなりました。
「(注射、不正、黒い要素)そういう不健全は要素が我慢できない人は、プロスポーツなど見にいかなればよろしい。ボクシングに限らない。野球だろうと、テニス、ゴルフ、サッカー、相撲、プロアマ問わず、注射の可能性は何だってある(後略)」(『無芸大食大睡眠』P.56 阿佐田哲也 集英社文庫)
「私の死因は、多分、病気ではあるまい。といって事故でもない。自殺である」。ヤケ呑をして心臓発作をおこすとか薬を打ちまくるとか、自分から死を近づけるような振る舞いをすると、阿佐田哲也は自らの死を予言しています(前掲書P.237 )。
そしていねむり先生のモデルは、平和な平成を嫌って、死んでいきました。阿佐田哲也が急逝したのは、1989年(平成元年)のことです。