美容師をあこがれの仕事にしたヴィダル・サスーン。

クリエーティブ・ビジネス塾20「ヴィダル・サスーン」(2012.5.30)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、美容師
ヴィダル・サスーンを知ってますか。
女性は、P&G(プロクター&ギャンブル)のヘアケア商品のブランド名として、ほとんどの方が知っています。でもこれがヴィダル・サスーンのすべてではありません。
ヴィダル・サスーン(1928~2012)は、「ハサミ一つで世界を変えた」、ロンドン生まれの美容師(ヘアドレッサー)です。ことし(2012年)5月9日にロスアンゼルスで亡くなりました。
「世界を変えた」男は、みずからの死を知っていたかのように、ドキュメンタリー映画『VIDAL SASOON(ヴィダル・サスーン)』を残しました(5/26にから、渋谷アップリンクなどで、公開中)。
映画はエキサイティングです(よしボクも頑張るぞ、と勇気とやる気を与えてくれる)。ヴィダル・サスーンは、アイフォンで世界を変えたアップルのスティーブ・ジョブズのような人でした。ヘアスタイルを変え、ファッションを変え、社会を変えました。偉大なクリエーター、美容師はもちろんすべてのクリエーターが学ばなければならない、クリエーターです。
2、WASH & GO
ヴィダル・サスーンは、ビートルズやミニスカートのツイギーを世界に発信した、50~60年代のロンドンで登場しています。
それまでの女性のヘアスタイルは、長い髪を盛り、オカマ式ドライヤーでセットし、スプレーで固める、窮屈なものでした。
サスーンはまずこの古いヘアスタイルを変え、女性を解放します。「ウォッシュ&ゴー」、洗ったまま、そのまま何もしなくても、出掛けられるヘアスタイルに、変えました。サスーンカットは、ボブやショートの短い髪のスタイルでした。
次にサスーンはファッションを変えます。
ある日、ファションデザイナーのマリー・クワントが、サスーンのサロンの前を通ります。飾ってあった写真にひかれ、店に入りサスーンとの運命の出会いをします。後の世界的流行になるミニスカートのファッションにはサスーンカットが採用されます。
そしてサスーンは映画を変えます。映画監督ロマン・ポランスキーが、映画『ローズマリーの赤ちゃん』に主演するミア・ファーローの髪を切ってくれ、と依頼します。ミア・ファーローはサスーンカットで主役を演じ映画はヒットし、サスーンはヨーロッパだけでなく全米で知られるようになります。
さらにサスーンは学校を変えます。「ヴィダル・サスーン・アカデミー」を、英・米・独・カナダ・中国の5カ国で12校設立しました。さらにサスーンは社会貢献を変えました。一人の孤児を養子にし育てました。ハリケーンで被害を受けたニューオーリンズの人々の救援に立ち上がりました。
ヴィダル・サスーンは、美容業界のすべてを変えただけでなく、ハサミ一つで世界を変えました。
3、14歳の自立
父に逃げられたサスーンは、孤児院で育ち、14歳で美容師の仕事を始めています。学歴はない。しかしサスーンは知性の人です。学びつづけた人です。
まず健康オタクでした。泳ぎました。スパに入りました。ストレッチは見事でした。座り、両足を広げて、上半身を足先の方に屈伸します。身体で片足を抱えるほどの柔らかさを持っていました。
1日14時間働くためには体力が必要である。というより生命力旺盛な、エロス(本能)の人でした。4度の結婚を繰り返しました。そして持てる男は貴重なアドバイスを残しました。「客とは寝るなよ!」
つぎに理論家、ロゴス(理性)の人です。ヘアカットとは、その人の骨格を研究すること。ヘアカットは建築と同じ。20世紀の建築家ル・コルビジェを学び、日本を代表する建築家・安藤忠雄とも親しくしていました。サスーンカットをジオメトリック・カット(Geometric=幾何学的)と名づけました。
そして接客業の基本を大切にしたパトス(情熱)の人でした。きちんとした身なりで接客すること。靴を磨いてこないスタッフは自宅に追い返されました。なまりを直し、魅力的な話し方が学ぶために、長い間「ボイストレーニング」を受けていました。こんな美容師、ちょっといません。