「壊して創る」を、セザンヌから学ぼう。

クリエーティブ・ビジネス塾22「セザンヌの人気」(2012.6.13)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、人気
東京・乃木坂の国立新美術館セザンヌ展(3/28~6/11)が開かれました。展覧会最終日の美術館に行ってきました。美術館のオープンは10時なのに、10時10分に入館したときにはどの絵の前にも人が群がっているような盛況でした。
ポール・セザンヌ(1839~1906)は、19世紀のフランスで活躍した後期印象派の画家で「近代絵画の父」と呼ばれています。ゴッホルノアールの後の人でマチスピカソの前の時代の人です。
昨年(2011年)3月にニューヨークを訪れたときにメトロポリタン美術館でやはりセザンヌ展をやっていました。そのときのテーマは「カルタ遊びをする人々」。世界の美術館に別々に所蔵されている、同名の「カルタ遊び」の作品が一同に集められて比較される、マニアックで刺激的な展示でした。
今回の東京のテーマは「パリとプロヴァンス」。セザンヌが生まれそして死んだ故郷プロヴァンスの仕事と、絵画を学び作品を発表したパリでの仕事を、比較するというものでした。
ニューヨークと東京。どちらの会場も人が溢れていましたが展覧会の企画としては、ニューヨークが一枚上手でした。しかし東京の展覧会は入門者に最適でした。セザンヌ人気の最大の原因と思える多彩な画業、風景画、人物画、静物画が手際よく並べられていたからです。
2、りんご
もっとも有名なりんごの絵「りんごとオレンジ」を題材にセザンヌから何を学べるかを考えて見ます。
1)エロ・・・セザンヌが残した200点以上の静物画のうち60点はりんごを描いています。なぜセザンヌはりんごを好んで描いたのか。それはりんごが禁断の実だからです。アダムとイヴは、禁断の知恵の実・りんごを食べたことで楽園を追放され、ここから人類の苦難の歴史が始まります。りんごは性愛の象徴、誘惑です。対してオレンジは純潔。「りんごとオレンジ」では、画面の中央に器に入った貞節のオレンジが一段高く配置され、誘惑のりんごがその器を取り囲んでいます。
2)キュビズム・・・「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱う」というセザンヌの言葉は、ピカソキュービズムモンドリアンの抽象画を予言するものとなり、「近代絵画の父」と呼ばれるようになります。「りんごとオレンジ」も幾何的な構成が意識されています。左右に広がる白いテーブルクロスを一辺にして、中央のオレンジの頂点を結ぶ三角は、厳密な二等辺三角形となっています。
3)表現・・・不思議なことに気がつきます。一番手前のりんごはテーブルクロスからこちらにこぼれ落ちそうに見えほど真上から描かれていますが、オレンジはどっしりと真横を見せています。ではオレンジの器ととなりの水差し(ミルク入れ?)はどうか。水差しは横の模様をしっかり見せているのに、器の横腹はそれほど見えません。この絵ような写真は撮れません。つまりセザンヌは、自分が見たものを気分がいいように並べ、現実を無視して描いています。
3、友だち
プロヴァンスで乗ったタクシーの運転手は、作家のエミール・ゾラを知っていたが、セザンヌは知らなかった(「セザンヌ再発見(下)」日経4/1)。
これは極端な話でしょうが、セザンヌは簡単に画家として成功したわけではありません。
最初の個展が開かれ評価が決定的になったのは、何と56歳(1895年)、死の10年前です。
30年以上もなぜ評価されなかったのか。それは、セザンヌは過去の画家を学び、そしてそれを徹底的に破壊し、既存の絵画を否定したからです。「絞殺される女」は、もがく女の首を男が馬乗りになって締め上げている、殺人の絵。19世紀の絵ではありません。まるで劇画です。若き日のセザンヌは破壊、破壊の絵画の革命家でした。
では売れないセザンヌをだれが支えたのか。経済的には、銀行家であった父親です。そして精神的には、故郷小説家エミール・ゾラとパリの先輩画家マネでした。あの傑作「フォリー・ベルェールのバー」を描いたエドゥアール・マネ(1932~1883)です。売れなかった天才を支えたの友だちもやはり天才でした。
梅雨空でしたが、国立新美術館に行ってよかった、セザンヌは「創る勇気」を与えてくれました。