ヴィダル・サスーンの一周忌です。

クリエーティブ・ビジネス塾18「ヴィダル・サスーン」(2013.5.23)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、美容師のヒーローの一周忌
5月9日は、ヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon 1928~2012)の一周忌でした。ヴィダルは、ロンドンで生まれ、ロスアンゼルスで死んでいます。短いハサミでカットするショートボブのヘアスタイルを開発しました。女性はパーマとセットから開放され、ヘアスタイルの革命が起きます。誤解を招きやすいのですが、ヴィダルは、現在ある「ヴィダルサスーン・ブランド」のヘアケア商品や美容学校とは、関係ありません。ヴィダル本人が、自分の名前のブランドを、売り払っています。
ヴィダルはハサミひとつで世界を変えた。美容師のヒーローです。ヴィダルはあなたの目標になり、ライバルにもなります。幸いヴィダルは、映画『VIDAL SASOON』(クレイグ・ティバー監督 2010年米国)と書籍の『ヴィダル・サスーン自伝』(髪書房)を残しました。5月はヴィダルを偲び、ヴィダルを学ぶ月です。映画を見ましょう。本を読みましょう。
2、ヘア・スタイルを、ファッションを、世の中を変えた男
1)貧乏・・・ヴィダルは、5歳から11歳まで孤児院で過ごし、14歳で美容師になっていますが、ないない尽くしで育ちました。まず言葉がダメ。ロンドン生まれですが、貧しい地域育ち、なまりの強いコックニーという言葉を話しました。そして教養もなければ、ヘアをカットする技術もない。あったのは礼儀正しさと人へのサービス精神だけでした。
最初の師匠は、身なりにうるさい人でした。靴はピカピカ、ズボンに折り目がついていないようではお店に入れてくれない、厳しい人でした。カットにはレイモンドという先輩の名手がいました。教養は独学の読書と、カットモデルのインテリ・ホームレスから学びました。英語に関しては、専門のボイストレーナーにつき、基礎から勉強しています。なまりはなくなり、人前で堂々と話せるようになりました。しゃべりは美容師の成功のための基本です。
2)カットはデザイン・・・当時はオカマに入り髪をセットし、スプレーで固めるヘアスタイルが主流でした。ヴィダルはそれを「ウォッシュ&ゴー」に変えます。洗って乾かせば、お出かけオーケーのスタイルです。髪は自然の贈り物、パーマをかけたり逆立てたりしない、骨格に合ったカットをする。そしてナンシー・クワンの「ファイブポイント・カット」を生みだします。ナンシーは世界の人気のスターで、腰まで届くシルクのような長い髪で有名でした。それをバッサリ切ります。ヘアスタイルは、雑誌「ボーグ」の表紙をかざり、ヴィダルはファッションをリードするクリエーターになります。
3)ユースクエイク・・・ロンドンではファッション・デザイナーのマリー・クワントに出会っています。
マリーはミニスカートを世界に発信した人です。ミニスカートのヘアスタイルにはショートボブでした。ヴィダルはマリーのショーに欠かせぬヘアドレッサーになります。ヴィダルはヘアドレッサーのビートルズになってアメリカに上陸します。アースクエイク(地震)ではなくユースクエイク(youthquake)、若者のよる流行革命をアメリカで起こしました。さらに映画『ローズマリーの赤ちゃん』のプレキャンペーンでは、主演女優のミア・ファーローのヘアをボクシング会場でベリーショートにカットするイベントを敢行し、話題を呼びました。ヴィダルは、ヘアスタイルを変え、ファッションを変え、映画を変え、世の中を変えるクリエーターになっていきます。
3、ママー!
ヴィダルは、米国での成功で、さまざまなセレブと交流し、大統領のパーティーに呼ばれような大物にまで成り上がります。でもヴィダルは、映画『ヴィダルサスーン』のなかで回想します。
5歳で孤児院にいれられた。そしてある日、孤児院を脱走し父親に会いにいく、しかしパパは冷たくヴィダルを孤児院に追い返した。自分は嫌われているんだ。それがトラウマ(精神的な外傷)になっている。だから人に好かれたい。努力してきた。
ヴィダル・サスーン自伝』には、孤児院に入れられ、ママと別れるシーンの回想があります。別れのとき、わずか5歳のヴィダルはママのスカートの裾を握りしめ、「ママ、ノー!ノー、ママ、ノー!」と泣き崩れます。何度読んでも、このシーンでは、涙が止まらなくなります。こんなかわいそうなヒーローはいません。涙は努力への誓いになります。だからね、がんばろうじゃありませんか。