会田誠、なぜいままで彼に会えなかったのだろう。

クリエーティブ・ビジネス塾11「会田誠」(2013.3.19)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、美少女
会田誠は、村上隆奈良美智と並び称される、日本の現代アートの最強のひとりです。
会田の売りは「美少女」。『滝の絵』では、スクール水着の女子中学生38人が水とたわむれています。両足を拡げ岩に立ち上がる。ジャンプして滝に飛び降りる。こちらにお尻を向けて岩を登る。大木にまたがる。膝をかかえて岩に座る。股間の水着の位置を直す。仰向けに水の中に寝る。中にはセーラー服姿の3人もいます。ロープ越しに仲間を見る。ミディのスカートをたくし上げ水に入る。スカートを脱ぎ、上着も脱ごうとしている。美少女たちは天使です。その表情は、『カリコリせんとや生まれけむ』(会田誠 幻冬社文庫)で見ることができます。文庫本ですが、1ページに拡大した少女のアップがあります。どの少女も、前髪を見せ、髪の長さはミディからロング、胸は膨らみかけた蕾のよう。普通の少女たちが、会田の美意識により美少女になり、躍動しています。
会田はなぜ少女たちを描くのがうまいのか。それは人に言えない(もちろん会田が告白したから私たちはそれを知っているわけですが)。会田が中学生の頃に「オナニー猿」だったからです。
会田はアイドル・大場久美子に熱中しました(恋に落ちた)。新聞広告の久美子ちゃんの水着部分を消し鉛筆で肌の部分を再現する→カラー写真をゲットし水着を消し色鉛筆で裸体を書く→白い紙にまず久美子ちゃんそっくりの顔を描き過激なポーズの裸体を描く→アイドルを片っ端から脱がせ、酷(むご)いシチューエーションにして描く(前掲P.182~P.184)。会田は新潟県出身ですが、東京の美術予備校に行ったときにはすでに絵がうまかった、と当時を回想しています。「なぜ少女ばかり描くのか」。オナニー猿としての美術の故郷はそれ以外にないからです。
2、マルクス・エンゲルス全集
では美少女エロ画の会田が、なぜ現代アートの旗手になれたのしょうか。それはエロ画の展示場(隠し場所)がよかったからです。
会田の部屋には父の蔵書である分厚い『マルクス・エンゲルス全集』が10冊ほどありました。会田はエロ画の隠し場所(展示場)としてその本の後ろを選びました。ヒゲを生やした近代社会科学のふたりの巨匠は、美少女たちと対峙することになります。
まず美少女たちは、マルクス・エンゲルスの「労働者窮乏化理論」が間違いであることを示しました。資本主義の世の中での労働者は搾取され必然的に貧民としての生活を送ることになる。しかし歴史は違いました。美少女たちは豊かな生活の象徴でした。つぎに美少女たちは、マルクス・エンゲルスの「国家独占資本主義論」「帝国主義論」の誤りを示しました。美少女たちは革命の戦士にも、植民地支配の先兵にもなりませんでした。さらに展示場(隠し場所)は、美少女エロ画が決してバレることがないことを保証しました。マルクス・エンゲルス全集はその所有者によって永遠に開かれることがなかったからです。全集は戦後知識人の単なる飾りでした。
会田はエロ画とマルクス・エンゲルス全集の組み合わせをコンセプチュアル・アートの萌芽と自賛していますが、これぞ会田のセンスであり才能でした。
3、『日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ』(2005)
「わたし、ビン・ラディン、テロリスト引退しました。もう探さないでください。ほんとは、わたし、やさしい。小鳥とか好きです。日本はぬるま湯ですね。このあいだ温泉行きました。温泉で日本酒、コレサイコー。昔の日本、ちょっとよかった。今の日本、ゼンゼン、ダメ。いま彼(会田誠)にかくまわれています。ここで骨埋めようと思っています。だから私、探さないでください」
ビン・ラディンと名乗る男を演じているのは、会田誠です。そして彼をかくまっている男の作品として紹介されるのも会田誠の『紐育空爆之図』(1996)。「9.11のテロ」を予言したといわれる作品です。ただし、ビン・ラディンのビデオも空爆の図もたいした意味はありません。出会い頭でできたような作品です。でもおもしろい。よく計算されている。表現になっています。
会田を勉強すると、街で会うすべての女性を脱がせて、想像する習慣がつきます。これはちょっと困る。会田に感謝し、会田を恨みます(筆者の個人的な問題かもしれませんが)。