クリエーティブ・ビジネス塾33「キャロライン」(2013.9.5)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、駐日米国大使
オバマ米大統領は次期の駐日大使にキャロライン・ケネディ氏(55)を指名しました。秋になれば、新しい米国大使としてキャロラインが日本にやってきます。なぜ親しげにキャロラインと呼ぶか。それはキャロラインが歴史的な悲劇のヒロインだからです。
1963年11月22日の早朝、日本中のたくさんの人が早起きをしていました。初めてアメリカから宇宙中継で送られてくるテレビ放送を見るためにです。いまではメジャーリーグでのイチローの活躍をアメリカと同時に見ることはあたり前ですが、それはこの日から始まりました。そして初めてアメリカから送られてきたニュースは「ケネディ大統領暗殺!」という衝撃的なものでした。米国だけでなく日本も世界も悲しみに包まれました。若くハンサムなケネディはアメリカだけでなく世界の希望の星でした。3日後の11月25日に葬儀が行われました。そのとき世界はまた涙を流しました。映画スターのように美しく人気があったジャクリーヌ・ケネディ未亡人の姿とともに、6歳の長女キャロライン、3歳の長男ジョンの姿を見たからです。
2、JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ 1917~1963)
ニューヨーク(NY)に行ったことがありますか。いちばん大きな飛行場はJFKと呼ばれます。もちろん暗殺された大統領JFKを偲ぶためにつけられたものです。いまこうしてケネディを思い出し、文章を書いているだけでも、涙が出そうになり、手が震えてきます。ケネディはドラマティックでした。
まずケネディは、史上最も若い43歳で大統領に就任しました。夫人はジャクリーヌ。若くてカッコいい理想のカップルでした。大統領就任のスピーチがよかった。米国民だけでなく世界が感動しました。つぎに外交。当時は米ソ対立の時代でした。ソ連がアメリカの直近のキューバにミサイル基地を建設していることが発覚しました。アメリカを海上を封鎖しソ連の船がキューバに近づけないようにしました。1962年11月。第3次世界大戦勃発か?今日でお別れ、世界中の人がそう挨拶しました。世界は沈黙しました。ケネディの毅然とした態度が世界の平和を守りました。
さらに人工衛星と初の宇宙飛行士誕生でソ連に負けたケネディは、米国が人類を初めて月面に送ると約束し、アポロ計画を発表しました(1969年アポロ11号で成功します)。
ケネディは絶頂期に暗殺されます。突然の死。悲劇はそれだけでは収まりませんでした。68年には弟のロバートも暗殺されます。さらに99年には息子のジョンも、将来の大統領職を期待されながら39歳のときに、飛行機事故で亡くなっています。
JFKは単なる大統領ではありませんでした。ファッションアイコン(ファッションの偶像)でした。ハーバード大学出身。ワイシャツ、ジャケット、スーツ、ネクタイ、シューズそしてカジュアル・ウエア。すべてがカッコいい。ケネディに勝てるファッションモデルはいませんでした。そして夫人のジャクリーヌ。ふたりの写真集は、アメリカン・トラディショナル・ファッションの教則本になりました。
3、アーリントン墓地
キャロライン・ケネディ氏は、なぜ駐日大使に使命されたか。尖閣諸島、北朝鮮、普天間基地、TPP、経済成長戦略。オバマ米大統領が日米関係を重要視しているからです。
JFKはワシントンDCのアーリントン墓地に眠っています。そして墓石には米大統領の就任演説での名文句が刻まれています。
And so, my fellow Americans: ask not what country can do for you- -ask what
you can do for your country.(アメリカのみなさん、国があなたに何をしてくれるかを問うのでなく、あなたが国に何をできるかを問いなさい)
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man. (世界のみなさん、アメリカがあなたに何をしてくれるかを問うのではなく、私たちと一緒に人類の自由のために何ができるかを問いなさい)
キャロライン・ケネディ氏を歓迎します。日本は、世界最強の国アメリカとの新しい関係を、構築しなければなりません。