マックの新社長は、カナダ人女性のサラ。

クリエーティブ・ビジネス塾44「マクドナルド」(2013.11.21)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、サラ・カサノバ
8月下旬、長い間日本マクドナルドの快進撃を指導してきた原田泳幸が社長を退き、新社長が発表されました。カナダ生まれのサラ・カサノバ(48)です。サラはカナダ生まれ、いままでマレーシア、シンガポールのトップを勤めていました。2004年から2009年まで日本マクドナルドで働いた経験があります。エビバーガークオーターパウンダーなどは、サラの提案です。
原田泳幸は、会長になります。原田は04年に社長に就任、100円メニューやマックカフェをヒットさせ、8期連続既存店の売上げを伸ばすという離れ業を演じてみせました。しかしその原田も、新しい時代に対応できなくなりました。ヒット商品の不在、低価格に慣れた消費者、そしてコンビニの攻勢があります。マクドナルドは今期も営業減益が見込まれています。そこで社長交代になりました。
サラ・カサノバ新社長は、チキンフィレオ、クオターパウンダーなど新メニューと宅配事業の強化を施策として掲げています。
2、マクドナルド
マクドナルドを代表するメニューはハンバーガー、そしてマクドナルドは世界を代表するファストフード店です。ファストフードとは、シンプルメニュー(ハンバーガーとフライドポテト)、フィンガーフード(食器を使わず指で食べる)、セルフサービス(配膳、片付けで客を働かせる)で、すべてにスピード(早さ)を特徴にしています。始まりは米国、いまでは世界中でマックのハンバーガーを食べることができるようになっています。それは14億人が住む中国でも同じ。おいしくて消化に良くて栄養のバランスがとれたおかゆがあるにも拘らず、出勤前にマックを食べるようになりました。
マックはどう考えても不思議です。まず食生活が全く違う世界のどこででも受け入れられています。子どもたちはみんな好きです。そして毎年いくつも新しいアイディアのハンバーガーチェーンが登場しますが、どこもマクドナルドを脅かすことができない。マックが最強であることです。
マクドナルドを始めたのは、米国のマクドナルド兄弟です(1950年代)。しかし今日のマックにしたのは違う人間。マクドナルドにミキサーを売りにいったレイ・クロックです。流れ作業でハンバーガーを作っているのを見て驚き、これだ!とひらめきます。そして経営権をマクドナルド兄妹から買い取り(1960年代)、フランチャイズチェーンし、国際展開をはじめ、現在の帝国を築きます。
レイ・クロックがさまざまな職業を転々とし、マクドナルドの仕事を始めたときには、すでに50歳を過ぎていました。人生あきらめてはならないと、教えてくれます。
そしてもうひとつ、レイはピアノを弾くミュージシャンでもありました。レイはバンドを組むようにマクドナルドの経営チームを編成しました。ベースは総務のジェーン・マルティーノ、ドラムスは財務のハリー・ソナボーン。そして店舗運営はピアノのレイ・クロック。息の合った仲間に恵まれました。
レイはアメリカの奇跡ですが、もうひとつの運命がありました。第1次世界大戦が行われたいたハイティーンの頃、ヨーロパ戦線で赤十字の運転手として働きました。そのときの同僚にディズニー・ランドの生みの親、ウォルト・ディズニーがいました。ディズニーランドとマクドナルドの生みの親が、ボランティア活動のような仕事の同僚だった、これも奇跡です。ウォルトもレイも、何かをしてみんなの役に立ちたい、大きな志を持った青年でした。
3、2人の外国人女性
リサ・カサノバマクドナルドの社長に就任して2ヶ月半、こんどは米国の新大使としてキャロライン・ケネディ(55)が11月15日に日本に着任しました。
キャロラインは、米国史上最若年で大統領に就任し、米国の夢でありながら暗殺された悲劇のケネディ大統領(JFK)の長女です。50年前大統領の葬儀に参列したいたいけな少女の姿に世界が涙を流しました。ですからキャロラインは米国のみならず世界が知っているセレブリティ(著名人)です。キャロラインの存在は、失われた20年から再生する、日本の立場を米国と世界に発信できるパイプになります。カナダからのリサ、そして米国からのキャロライン。これからしばらく、ふたりの外国人女性の日本での活躍から目を離すことはできません。