復興が遅れているのはなぜ?わかりません。

クリエーティブ・ビジネス塾12「東日本大震災」(2014.3.19)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、石巻気仙沼
2001年3月11日の午後あなたは、何をしていましたか。あの日の夜をどこで、どのように過ごましたか。1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災から、丸3年経ちました。
私たちは被災地支援ライブで、アコースティックギター&ボーカルの『団塊の世代の唄』とともに、2012年4月に石巻2泊、2013年8月に気仙沼3泊、お世話になりました。カメラマンとして同行したのですが、演奏シーン以外の写真を撮りませんでした。いや、「撮れません」でした。津波の被害を撮影する気には到底なれませんでした。被災して1年も2年も経つのに、見渡すばかり荒野、復旧・復興の足音が全く聞こえない。これって人災だ。石巻気仙沼を見て驚いてしまったからです。
2、復旧と復興
被災地の335カ所で高台移転事業の開始手続きが始まりました(大西隆日本学術会議会長日経3/3)。とはいえ宅地造成が完成したところはごくわずか、どこが高台移転するのか、街の未来はどうなるのか、現地に行っただけはまるでわかりません。公営の復興住宅の完成割合は、完成済みが岩手8%、福島0%、宮城2%。着工済みが岩手28%、福島10%、宮城26%、というのですから、がれきは片付けられたとはいえ、今も被災地は3年前のままの荒野です(日経3/11)。
なぜ復旧は遅れているのか?いろいろの解説はあります。が、結局のところわかりません。
カネはあります。復興庁は11年度から14年度までに28兆円の復興予算を執行または計上しています。また公金預金残高でも、岩手、宮城、福島の3県は震災直前の2~4倍になっています。カネがあっても使えない原因は、臨機応変公的資金を活用できない制度の制約だといいます(林敏彦大阪大学名誉教授 日経3/4)。たとえば米同時多発テロでは「9・11犠牲者補償基金」がつくられ、運営の一切は基金の理事長に任せられました。たとえば99年の台湾集集大地震では「復興基金」の使途は、執行長を務めた国立台湾大学の教授ただ一人に任されていました(前出林教授)。
人と人口の問題もあります。他地域に転出する人がいます。住宅を持つことをあきらめる人がいます。そして人口減少があります。もともと東北では人口減少が予想されていました。震災がそれに拍車をかけました。東北3県の人口は11年の570万人から13年には557万人に、13万人も減少しています。しかしこれはもとも減少が予測されていた10万人に3万人がプラスされただけです(前出林教授)。人口減少は予測されていたものとはいえ、復興にも大きな影響を与えています。
もうひとつは復興のグランドデザインの問題があります。たとえば防潮堤整備事業。1000年に1度の大津波に備えて高くすればいいのか(日経社説3/11)。高台移転で農地しかないところを防潮堤で護るのが適切なのか。防潮堤をつくったあとに魅力のある水辺空間を作れるのか(姥浦道生=うばうらみちお東北大准教授 日経3/5)。これは被災者の意識の変化の問題でもあります。
3、再生と創造
震災は東北が抱える課題を、凝縮させ顕著な形で発現させました。人口減少、少子高齢化、財政難、資源エネルギー。東北には、根本的な方針転換、パラダイムシフト(枠組み)シフトによって総合的に解決すべき課題がありました(前出姥浦准教授)。
東北を捨てる人がいます。去る者は追わず。再生には新しい若い人が必要です。仕事、住宅、学校、温かい人間関係、そして文化の豊かさです。被災地は新しい人を街に迎える必要があります。どんな魅力を全国に世界にアピールするか。それが問われています(前出林教授)。
3年前の夕方、東京の新宿駅には電車の運行再開を待って、たくさんの人が改札に連なるように階段に行儀よくびっしりと座り込んでいました。駅構内のタクシー乗り場も同じです。いつくるかもわからない空車を待って大群衆が秩序正しく並んでいました。同じ頃、新宿歌舞伎町の居酒屋は空いていました。カラオケも大丈夫、オールナイトの予約もできました。どの行動が正解かはわかりません。しかし駅に集まり、階段に座り込むのだけは疑問です。もしあのとき、新宿駅で火災が発生したら、想像するだけで恐ろしくなります。10万人の犠牲者のうち、ほとんどが火災で亡くなった、関東大震災の悲劇はすぐそこにありました。(注:原発と福島については改めて考えます)