ヴィダル・サスーンがおしゃれの基本。

クリエーティブ・ビジネス塾24「ヴィダル・サスーン」(2014.6.11)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、没後2年のスーパスター
ヴィダル・サスーン(1928~2012)を知っていますか。ヴィダルは2年前に亡くなりましたが、いまなお美容師(ヘアドレッサー)のスーパースターとして、美容業界に大きな影響を与えています。ヴィダル・サスーンブランドのヘアケア製品、美容サロン、学校(アカデミー)のことではありません。これらは生前のヴィダルによって全部売り払われています。
美容雑誌を見ると、きょうも、「やりすぎない」「重くなりすぎない」が話題になっています。ヴィダルはショート・ボブで答えています。そして「トータルビューティー」が取り上げられています。それに対してもヴィダルは、ボブとミニスカートの活動的な女性像で答えています。
ヴィダルを学ぶことは、美容師の基本です。
2、ヘアスタイルを変える
ヴィダルは14歳から美容師の仕事をはじめています。最初の勤めたサロンで素晴しい出会いをしています。生涯の先生になるコーエン教授です。
まず外見、身なり。ピカピカの靴、パリッとしたズボンが条件。磨いてない靴でサロンに立つことは許されませんでした。
つぎに接客のマナー。そして話術。「あなたひとりだけのためにある」と思わせなければなりませんでした。ヴィダルはロンドンのイーストエンド育ち、コックニー(cockney)という労働者階級の言葉、なまりの強い言葉を話しました。そのために、「英語」を勉強し発声法を習いました。忙しい中で、5年もボイストレーニングを受けています。
1954年26歳でヴィダルは「ヴィダル・サスーン・サロン」をオープンしています。
50'sと60'sのロンドンは、世界に影響を与えるような流行や文化を、世界に発信していました。音楽のビートルズ、ミニスカート・ファッションのツイギー、そしてヘアのヴィダル・サスーンです。
まずヴィダルのサロンでは、コンサーバティブ(いままでどおりの保守的な)なヘアスタイルは一切手掛けないことにします。「マダム。申し訳ありません。私のサロンではあなたのご希望するようなヘアスタイルはやりません」
第2に、そのヘアスタイルとはスインギング・ヘアです。スプレーで固めたセットヘアではない。カットスタイルで揺れ動くスタイルでした。女性たちを古い因習、呪縛(じゅばく)から開放しました。
第3に、ヘアスタイルは理論的なものでした。ヘアスタイルはその人の骨格・体型にあったものでなくてはならない。世界の女性のヘアスタイルは、セットヘアから「ウォッシュ&ゴー」(洗って乾かせブラシングしてそのまま出掛けられる)に。ボブ・スタイルをベースにしたスタイルに変わります。
3、ロゴスとエロスとパトス
ヴィダルは理論(ロゴス)の人です。
ヘアスタイルには、フォルムとアングルがあるから、建築だといいます。そしてバウハウス(ドイツの美術工芸学校)、コルビジェ(建築家)、安藤忠雄(建築家)を語ります。
そしてヴィダルはエロス(官能)の人です。友人の美容師を語ったときの形容が面白い。「イタリアの種馬(Italian Stallion)」。女ぐせが悪いから。ヴィダルも変わらなかったのではないでしょうか。ただ「客とは寝るな」の貴重な教訓を残しています。ヴィダルは4回結婚しています。その恋愛と結婚がどれも、幸せいっぱいなのが不思議です。
結論。やはりヴィダルはパトス(感性)の人。悲しみの人です。どうしても耳を離れないセリフがあります。それはヴィダルが5歳、孤児院に預けられたときのこと。孤児院のゲートの前で母はヴィダルに背中を向けて歩き出します。ヴィダルは絶叫します。
「ママ、ノー!ノー、ママ、ノー!」
孤児院のあの暗く陰気な部屋。ママがぼくを置き去りにしたときに、ぼくが泣いた部屋。
それを忘れたくて、自分を美に囲まれた環境に置くことに、ヴィダルは力を注ぎました。
(『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房、『Vidal』 Pan Macmillanを参考にしました)