クリエーティブ・ビジネス塾36「デイブ平尾」(2014.9.3)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、「ザ・ゴールデン・カップス」
よく知られているが、正当に評価されていない、天才歌手がいます。ザ・ゴールデン・カップスのデイブ平尾(平尾時宗1944~2008)です。先日「ヨコハマグラフィティ ザ・ゴールデン・カップスの時代展」(横浜高島屋ギャラリー 2014.8.13~25)が開かれ、彼のステージの映像がふんだんに紹介され、改めてその実力に驚かされました。
デイブ平尾の同時代の歌手には、坂本九、内田裕也、沢田研二、堺正章、井上陽水、上田正樹、らを取り上げることができますが、デイブ平尾は誰とも似ていません。リズム&ブルースを歌えた日本で最初のシンガーでした。グルーブ(groove=リズムへのノリ)が違います。その違いは、Jーpopの創始者といわれる大滝栄一と比べてみれば、明らかです(大滝の悪口ではない)。デイブ平尾のグルーブは独特です。
デイブ平尾は横浜で生まれ、本物の音楽を聞いて育ちます。実家は外国航路船員専門のクリーニング店。横浜はアメリカ兵で溢れていました。初めビートルズのコピーバンド。20歳のときに音楽を聞くために渡米。21歳のときに横浜のクラブ「ゴールデンカップ」で生演奏バンドのボーカルとして歌い始めます。「ゴールデンカップ」はアメリカ兵と日本の不良少年少女でいっぱい。デイブ平尾は米国人に認められた日本人歌手でした。
デイブ平尾は1966年から71年まで(「ゴールデンカップ」から名づけた)「ザ・ゴールデン・カップス」のリードボーカルとして活躍します(始めのバンド名は「平尾時宗とグループ&アイ」)。メンバーはリードギター、エディ・藩、ドラムス、マモル・マヌー、ベースギター、ケネス伊東、ベース&ギター、ルイズルイス加部。さらに後のメンバーを列記すれば、キーボードのミッキー・吉野、ベースギターの柳ジョージも、「ザ・ゴールデン・カップス」は伝説のバンドです。
2、横浜・本牧
終戦でアメリカ軍が進駐してきます。横浜・本牧は48時間以内に退去命令が下され、71万平方メートルの広大な土地が接収されます。そして米軍人や軍属の家族の住宅が1年ほどで完成します。本牧のエリア1に427戸、エリア2に483戸、根岸のエリアXに385戸(47年以降)。アメリカリトルタウンが出現、1983年に返還されるまで日本人が入ることができない「フェンスの中」として、36年間存在し続けます(根岸地区は未返還)。
「フェンスの中」は貧しい日本人にとって理想郷でした。スーパーマーケット、銀行、ボーリング場、劇場、駐車場、ガソリンスタンド、もちろんアメ車も、ナイターのできる野球場、学校、教会。緑の芝生、白塗りのハウス、青い空、豊かさとは何かを教えてくれる理想の町でした(「フェンスの中のアメリカ 1959~1964」ダディーズ・プレス)。
「ゴールデンカップ」は、道の両脇に米軍住宅がある「フェンスの外」に、1964年にオープンします。横須賀、座間、厚木を結ぶ、米兵専用バスが24時間走り、昼夜を問わずアメリカ兵が町にあふれていました。店にはジュークボックスがあり最新の音楽がありました。さらに店は最新のヒット曲をアメリカから仕入れていました。デイブ平尾はアメリカ音楽にうるさい「ゴールデンカップ」のオーナーに認めれられ、店のステージに立つようになります。米兵の前で歌い腕を磨き、最新のヒット曲を吸収する。そしてデイブ平尾の「ザ・ゴールデン・カップス」は、『長い髪の少女』(1968)の大ヒットをとばすようになります。「彼らの音楽は、そのころはやり始めたグループサウンズとは一線を画し、あか抜けていてかっこよかった」(「ゴールデンカップ」オーナー上西四郎 日経8/8)。
デイブ平尾のグルーブは、肌の色を超え、国境を越え、年齢を超え、人の心を動かす力を持っていました。
3、J-pop
日本のポップミュージック、いわゆるJ-popを語る意味で、忘れてはならないことがあります。それは日本の音楽業界が米軍のおかげという側面を持っていることです。
基地や居住区のステージには、米本土からのミュージシャンがやって来ていました。しかしそれだけではプログラムのメニューが少なすぎ、日本のミュージシャンも「フェンスの中」で活躍しました。それがスマイリー小原(1921~84)、ペギー葉山(1933~)、小坂一也(1935~97)、松尾和子(1935~92)、江利チエミ(1937~82)、雪村いずみ(1937~)でした。さらには、ナベプロ創始者の渡辺晋(1927~86)・美佐(1928~)、ホリプロの創始者堀威夫(1932~)、ビートルズを招聘した永島達司(1926~99)も、進駐軍クラブの仕事に関与していました。ちなみにジャニーズ事務所のジャニー・喜多川(1931~)は、アメリカ・ロスアンゼルス生まれで、日本の米大使館で働いた経験があります。
ナァーンだ!ナベプロ、ホリプロ、ジャニーズ。みんなアメリカの出店のような会社なのか。でもこれが20世紀に誕生したロックミュージックの本質です。黒人音楽をベースにしたリズム&ブルース、カウボーイソングなどのカントリー&ウエスタン、そして賛美歌とゴスペルの教会音楽。この三つがロック・ミュージックの源流です。デイブ平尾のグルーブはロックの本質を歌っていました。そして日本はいまだにデイブ平尾を上回る天才シンガーを生み出していません。