クリエーティブ・ビジネス塾47「大谷翔平」(2014.11.5)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、異形
ふつうとは違うかたちの人を「異形(いぎょう)」という。クリエーターはだれでも異形でありたいと願い、異形にあこがれます。異形の集まりがプロ・スポーツ。凡人の努力や節制ではどうやっても到達できぬ「異形」を見せ物にして金をとる、これがプロの本質です。
ナマの大谷翔平をみましたか。シーズンは終わりましたが、プロ野球は大谷翔平という異形の登場で、面白くなっています。こんどこそナマを見たい。その思いがシーズン終了とともに、どんどん膨らんできました。試合前から球場に行って、練習を含めてこの目で異形を確認したいのです。
ダルビッシュ・有と田中将大は苦手です。ふたりが渡米寸前に投げ合った試合を東京ドームで見ました。雨の中ドームの外で1時間も待たされた試合は全く期待を裏切るもでした。落ちる球ばかり、ズドーンというストレートを投げてくれなかったからです。高校時代の江川卓を知っていますか。54回夏の甲子園栃木県予選(1972年)で3試合連続ノーヒットノーラン(完全試合1)。55回大会栃木県予選(1973年)で5試合中3ノーヒットノーラン、残りの2試合も1ヒットピッチング。法政大学時代の江川と神宮で見ました。基本はストレート、変化球は時々投げるドロンとしたカーブだけ。投球術、打者との駆け引き、入念なサインの交換、そんなものありません。キャッチャーからボールが帰ってくるとすぐさま振りかぶってどんどん投げ込みます。ストレートを狙わせておいて、ストレートを空振りさせる。江川卓はまさしく異形でした。
2、異形の二刀流
大谷翔平はピッチングで異形、バッティングで異形です。まずピッチング、7月19日のオールスター戦で、最速球宴記録162キロを投げました。驚くべきは23球投げて12球が160キロ台。159キロは8球、ストレートは平均160キロといってもいいほどです。「大谷君が投げているボールは、その速さはもちろんのこと、他のピッチャーが投げている球とはまったく質の違うものです」(野茂英雄『ナンバー861』 p.55 文芸春秋)。そして結果を残しました。11勝4敗155と1/3回 179三振。
そしてバッティング。「イチローをデカくして、しかもパワーを備えているから、イチローの打球がレフトフェンス直撃になるところでも、翔平の打球はフェンスを越えていく」(栗山英樹 前掲p.17)。いつも間近で見ている監督がいうのだから、間違いありません。打率274、本塁打10本。
史上、1シーズンで10勝以上10本の本塁打を記録した、日本人選手はいません。米大リーグでは96年前(1918年)のベーブ・ルースただ1人。異形の二刀流の完成です。
3、異形の誕生
大谷翔平は1994年7月5日生まれ。体重3400gで誕生。小学校入学時は130cm。高校入学時は188cm66kg、野球部佐々木洋監督のアドバイスで毎日10杯ドンブリ飯を食べました。食べては吐き、吐いては食べて。現在193cm 90kg。母親の大谷加代子は170cm、父親の大谷徹は182cm。母はバドミントンで陣内貴美子と何度も対戦するほどの一流選手。父親もプロ選手を輩出する名門社会人野球チームに所属。さらに母の父、祖父も昭和9年生まれにしては176cmと長身。中学野球部でエースで4番の活躍をしています(「大谷翔平 痩せすぎが心配でした」大谷加代子 『文芸春秋』)。異形は、異形として生まれ、異形として育てられています。
しかし大谷翔平の努力も異形。まず監督、「アイツ、寮に帰って隠れてやろうとするからね」(栗山秀樹 前掲p.31)。そして母も、「(肉体改造のトレーニング姿を)テレビ取材などでも絶対見せていないないみたい」(大谷加代子 前掲p.349)。さらに専属広報の青木の証言がある。「彼のオフの過ごし方はトレーニング」(前掲『ナンバー』p.43)。外出はコンビニとたまに行く美容室だけです。
大谷翔平は高2のときに骨の成長の障害になる「骨端線損傷」というケガをしています。医師は身長がまだ伸びるから厳しいトレーニングをしないように忠告し、身体ができあがるのは23~25歳だろうと予告します(前掲『文芸春秋』p.350)。大谷翔平は来年の7月で21歳になります。いよいよ二刀流のドラマが本格化します。ただし見に行くのは大変。ピッチィングとバッティバッティングの2日が必要です。二刀流はやっかい。それでも、異形を見たい、少しでも異形に近づきたい。