クリエーティブ・ビジネス塾1「愛国心」(2015.1.1)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、戦後70年
日本人の数が減り続けています。2060年に8700万人、2110年に4300万人、さらに30世紀初頭の日本列島には数百人の日本人しかいない、日本は姿を消そうとしています。
なぜ、日本人は生まれてこないのか。日本人であることに誇りを持てない、先祖の努力でこの国が築かれてきたかを知らない、伝統を守り伝えていく使命感がない、愛国心がないからです。
占領軍は、「東京裁判」、「日本国憲法(教育基本法)」、「太平洋戦争史」で、日本人を「愛国心」のない日本人に改造し、米国に対して復讐戦を仕掛けることができない、ように教育しました(『日本国憲法の問題点』小室直樹 p.143 集英社インターナショナル)。
しかし、ついに愛国心や憲法改正を口にすることが、「右翼」ではなくなってきました。昨年出版された『愛国論』(百田尚樹 田原総一郎 KKベストセラーズ)は、象徴的です。イデオロギーの主張ではありません。事実を並べるだけで、戦後70年は失われた70年であった、ことがわかるからです。
2、戦後民主主義
1)なぜ70年まえに日本は戦争をしたか。軍部が天皇を利用した天皇制ファッシズムで暴走し、帝国主義的な領土拡大の侵略戦争をした。これが今までの答でした。ところが「日本の戦争の動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」(1951.5.3米上院公聴会でのマッカーサーの証言。前掲書p.104 百田の発言から)。エッエッエー?です。敵のマッカーサーが日本の戦争を認めてくれている。そればかりではありません。日本の戦争は感謝されています。「あの戦争によって世界のいたるところで植民地支配が打破されたが、それは日本が戦ったからだ」(タイ元副首相)。「大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行してくれた」(インドネシア元首相)。「神の軍隊が来たと思った」(マレーシア元外相)(p.52~53百田の発言)。
2)なぜ「自虐史観」は生まれたか。「戦争の罪の宣伝計画」(War guilt information program)の成果です。占領軍はプレスコード(新聞遵則)、ラジオコード(放送遵則)で記事と番組を検閲しました(p.65~66 百田と田原の発言)。さらに占領軍は1万人の日本人を使い私信を開封し、天皇、戦前、大東亜戦争を肯定するすべての言論を検閲し封鎖しました(『閉ざされた言語空間』江藤淳p.230 文春文庫)。占領軍が日本国憲法を書いたことも秘密にされ、それを暴露することは検閲の対象にされてきました。
3)A級戦犯とは何か。A級とは平和に対する罪(戦争を始めたこと)、ちなみにB級とは戦争犯罪(非戦闘員の殺害)、C級とは人道に対する罪(大量虐殺)です。A級とC級は事後法(行為の事実のあとに法律を作り裁くこと)、つまり事後法で裁いた東京裁判はインチキ裁判です(p.98~99)。
3、日本人
では私たち日本人は300万人の同胞を失った大東亜戦争を賛美していればいいのか。違います。
まず、戦争への道をあおったのは「軍部」ではなく日本人自身です。日露戦争のポーツマス講和条約で賠償金を取れなかったことを契機に、国民とマスコミは怒り狂い政府の弱腰を攻めます。そして戦争への道を進む(p.31~33)。私たちはネゴシエーション(交渉)ができません。「拉致問題」は進展していません。
つぎは、「運」に頼る日本人です。戦前、東條外務大臣は戦前に若手の研究者に日米戦争を研究させます。結論は日本の「負け」と出ます。しかし戦争には「運」もあると研究結果は却下されます(p.26~27)。私たちはシュミレーション(模擬実験)ができません。「福島」では一度の避難訓練もしていませんでした。
そして決定的な弱点。「失敗したら」、「負けたら」を言えない日本人。「失敗したらとは何事だ」と怒鳴られます(p.118~119)。私たちはディベート(討論)ができません。「有事」を考えることはタブーです。
結論。まず占領軍の戦後日本から脱出すること。もちろん憲法改正を含めて。そして日本を取り戻すこと。これがクリアできたら、次の問題は言霊(ことだま)が宿るという日本語です。神々が作った大和は、天皇のもとで青き海と山の国として栄え、言葉と文芸を生み出してきました。しかし主語があいまいで、省略が多く、敬語が豊富な日本語で、グローバル・コミュニケーションはできません。私たちの言葉は美しすぎます。風流は語れますが、ネゴシエーションやディベートには、不向きです。討論は、プロレスの木村政彦と力道山のような血みどろの戦いになります。英語を日本の第2の公用語にすべきなのでしょうか。