映画とは何か。その答は溝口健二にある。

クリエーティブ・ビジネス塾3「溝口賢二」(2017.1.16)塾長・大沢達男

映画とは何か。その答は溝口健二にある。

1、ミゾグチ
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダール(1930~)が、<好きな監督の3人はだれか?>のアンケートに「ミゾグチ!、ミゾグチ!!、ミゾグチ!!!」と答えて、日本の映画監督溝口健二(1898~1956)は、映画の歴史の正統的なレジェンド(伝説)になりました。
ミゾグチを指名したゴダール自身が世界映画のカリスマでした。その発言の重さが違いました。ゴダールは、映画『勝手にしやがれ』(1959)でブレイクし、世界の映画祭で賞賛を浴びた、映画の芸術家でした。
つぎに溝口健二自身も噂に違わぬ作品を残していました。なんとヴェネチア国際映画祭で、『西鶴一代女』(1952)、『雨月物語』(1953)、『山椒大夫』(1954)、3年連続栄誉に輝いています。
そして溝口の映画は、だれもが楽しめる娯楽でした。かんたんでわかりやすく、しかも深い。映画づくりの技術が満載されている映画の教科書でした。
2、映画の教科書
1)シナリオ・・・溝口健二の映画のほとんど脚本は依田義賢(よだよしかた1909~1991)によるものです。しかも、ヴェネチア3部作、『西鶴一代女』(井原西鶴)、『雨月物語』(上田秋成)、『山椒大夫』(森鴎外)のように評価が定まった古典を使っています。これは映画づくりが共同作業であることを物語っています。ウォルト・ディズニーの原作は童話です。そして小津安二郎には野田高悟、黒澤明には橋本忍という、かけがえのない共同作業者がいました。映画とは言語頭脳と映像頭脳のコラボです。
2)キャメラ・ワーク・・・溝口映画の伝説、それはワンシーン・ワンカットです。映画とは、短いカットをつなげてシーンにし、モーション・ピクチャー(動く映像)にするものでした。映画初期の傑作『戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・エイゼンシュテイン 1925)は、モーションピクチャーを発明している映画です。ワンカットは1秒長くても2秒です。ブツブツの映像を編集して映画にしています。
溝口は反抗しました。1分以上もカメラを回し続けました。それは想像以上に大変なことでした。まず役者。セリフと動きを覚えていなければならない。つぎにキャメラ。人物の動きを追っての平行移動、パン、ズーム、クレーン。そして照明。どのシーンにも光と影がある。溝口映画には映画技術のすべてがありました。
3)ドラマツルギー・・・まず序破急交響曲です。ピアノがあり、フォルテがあります。単調ではありません。
さらに音楽がいい。溝口監督の耳は鋭い。沈黙と音を聞き分けています
つぎに論理と非論理があります。キメのセリフは、ドラマ全体を貫くキーワードになっています。論理的、だから日本語の映画でありながら、外国人にも理解できます。非論理では、笑いがあり、恐怖があります。ヴァイオレンスではありませんが、暴力もあります。だれもが身震いし、共感します。
3、3人のミゾグチ
1)エロスのミゾグチ・・・溝口映画のテーマは、男と女の物語、ロマンスとエロスです。そして必ず「カネとオンナ」のエロオヤジが登場します。『浪華悲歌(なにわエレジー)』(1936)で女を手込めにとする金持ち社長、『西鶴一代女』(1952)、『近松物語』(1954)で金のない女に言い寄る男、そして『赤線地帯』(1956)で、女郎置屋の店主を演じる進藤英太郎です。観客は自らの下半身を覗かれたように笑います。
2)パトスのミゾグチ・・・溝口監督は女の喜憂哀歓を描きます。女を演じたのは山田五十鈴京マチ子香川京子若尾文子木暮実千代です。ワンシーン・ワンカットは女を描くために発明されました。
3)ロゴスのミゾグチ・・・溝口はニヒリスト、アナキスト、エピキュリアンで、反ヒューマニズム、反デモクラシー、反リベラリズムです。戦後の占領軍とは相容れず、映画の検閲が廃止されたサンフランシスコ平和条約締結以降(1952)に活躍を始めます。溝口の思考の根底には仏の教えがあります。
西鶴一代女』のエンディングは、なんと四弘誓願(しぐせいがん)のコーラスです。
衆生無辺誓願度(しゅうじょうせいがんど)・煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん)
法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち)・仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんせい)
命あるものすべてにやさしくし、金、物、性への要らぬ欲望を断ち、
仏の教えを学び続け、悟りに達するまで努力します。
「ミゾグチ!、ミゾグチ!!、ミゾグチ!!!」には図らずも意味があり、クリエーティブの本質を表していました。