田中角栄をベストセラーにした慎太郎は偉い。

クリエーティブ・ビジネス塾4「田中角栄」(2016.1.20)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、『天才』
小説『天才』(石原慎太郎 幻冬社)が出版されました。衝撃的な内容です。本の帯に書いてあります。「反田中の急先鋒だった石原が、今なぜ『田中角栄』に惹かれるのか」。その通りです。政治家時代の石原は田中の金権政治に反旗をひるがえしていました。田中から一切金を受け取らなかった、自民党の中では稀な存在でした。その石原が、田中角栄になりきり「俺」として語る小説を、書きました。
2、日本を作った男
なぜ田中角栄が政治の天才のか。40に近い議員立法をしたからです。
まず道路があります。田中角栄は柏崎生まれ、雪国・新潟の出身です。いまでは死語で差別用語ですが、新潟は「裏日本」でした。東京の表日本とは、道路も鉄道も不整備、行き来するのが困難でした。それは政治が悪かったからです。
「明治初年からの長い官僚政治で特に都市集中、表日本集中の政治が行われてきましたので、裏日本、北海道は国費の恩典に浴さないことは私がいうまでもない事実であります」(『政治家田中角栄早坂茂三 p.74~75)。これは1952年衆議院建設委員会議での田中の発言。裏日本にも道路を、という主張です。
そして、この考え方を発展させたのが、『日本列島改造論』です。
「新幹線、高速道路の全国的な展開、本州四国連絡橋の3ルートの架設、空港の整備によって日本列島を1日生活圏、1日経済圏に再編する」(前掲 p.493~494)。『日本列島改造論』は1972年に出版されています。今から45年前に現在の日本の姿があります。
さらに外交でも、日本の姿を決定しています。1972年の日中の国交回復です。1972年2月に米大統領ニクソンは中国を訪問し、毛沢東周恩来と会談し、世界を驚かします。「ニクソン・ショック」と呼ばれるものです。世界を支配していた方程式がガラリと変わる大事件でした。しかし田中角栄少しも動ぜず、1972年7月に総理大臣に就任し、9月には中国を訪問し、毛沢東周恩来と会談、日中国交正常化を実現してしまいます。現在中国ではトヨタのクルマが走り、ユニクロのファッションが流行し、資生堂の化粧品を使われています。田中角栄あればこそです。
3、石原慎太郎
田中角栄は有能であったが、数に頼る金権政治を行った。そしてその果てに、米ロッキード社から5億円の賄賂をもらい裁かれ、世論にたたかれ失脚した。これが通説です。そして田中角栄を主人公にした『天才』を書いた石原慎太郎も政治家時代に、田中の金権政治を追求していました。しかし石原慎太郎は告白します。「当時の私もまた彼に対するアメリカの策略に洗脳されていた一人だった」(前掲『天才』p.207)。
どういうことかというと。「彼は(田中角栄アメリカという支配者の虎の尾を踏み付けて彼らの怒りを買い、虚構に満ちた裁判で失脚に追い込まれた」(前掲p.204)、「アメリカの逆鱗に触れ、アメリカは策を講じたロッキード事件により彼を葬った」(前掲p.207)のです。「支配者の虎の尾」、「アメリカの逆鱗」とは、何でしょうか。小説はそのことを3つの点から、明らかにしています。
まずニクソン(米国)は総理大臣になる前の通産大臣田中角栄を極めて優秀な政治家として知っていました。日米トップ会談のランチのときの話です。「ニクソンが自分の隣の席にいきなり俺(田中角栄)を座らせてしまった」(前掲p.58)。ニクソンは図抜けた田中の優秀さを見抜いていました。
ところが、電光石火の日中国交正常化で一転、田中は警戒すべきだ、アメリカ(ニクソン)は不快の念を抱くようになります(前掲p.119)。そして田中角栄が、石油、ウランをアメリカやメジャーに頼らぬ日本独自の導入ルートを開拓し始めたときに、虎の尾を踏み付け、逆鱗に触れることになります。カナダ、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランドビルマを訪れた田中角栄の資源外交に、ニクソンの片腕キッシンジャー国務長官は強く反発していました。
ロッキード裁判にいたっていは、アメリカ人記者までが、「裁判の実態に驚き」、「この国の司法のあり方に疑義」を示さざるを得ないものでした。素人でも裁判への疑義はたくさんあります。でもそのいちいちを論じるのは野暮というものでしょう。ここでは洗脳されていた、と反省し田中角栄の天才を評価した、小説家石原慎太郎の勇気と創作へのエネルギーを評価すべきでしょう。