鈴木敏文の退場でコンビニ時代が終わる。

クリエーティブ・ビジネス塾20「コンビニの終わり」(2016.5.2)塾長・大沢達男

鈴木敏文の退場でコンビニ時代が終わる」

1、コンビニの父
セブンイレブン鈴木敏文会長(83)が経営の第一線を退くことになりました。健康状態や高齢が理由ではありません。経営陣に民主主義の革命が起きて、独裁的権力者・鈴木敏文が追い出されたのです。
鈴木敏文はコンビニの父です。日本のコンビニ時代を築いた天才的経営者です。40年以上に渡り日本の消費生活をリードしてきたコンビニ時代が終わります。天才が時代を作る。時代が天才を生む。いずれにしろ、鈴木敏文の退場でコンビニ時代は終わります。
日本初のコンビニ、セブンイレブン江東店が営業を開始したのはいまから42年前の1974年。スーパー業界8番手の弱小ヨーカ堂が、全米4000店舗の世界最大のコンビニチェーン・セブンイレブンと提携して開業しました。「大型スーパーの時代に小規模なコンビニとは?」。鈴木は周囲の反対を押し切ってコンビニ事業を始めました。「みんなが賛成することはやらない。反対されることだけをやる」鈴木のモットーは、コンビニ創業のときから貫かれています(週刊ダイアモンド「鈴木敏文の破壊と創造」20156/6 p.32~36)。
時代は鈴木に味方しました。コンビニ時代がやってきます。ファミリーマート、ローソン、ミニストップ・・・競争の中でセブンイレブンは全国で1万5000店以上を展開する最大手になり、40%に近い市場を占拠しています。驚くべきことは鈴木のセブンイレブン・ジャパンが米国の本家セブンイレブンを吸収してしまったことです。さらにセブン&アイ・ホールディングスは、そごうと西武を配下に置く、企業連合体に発展しています。
2、天才
鈴木の天才を証明するいくつかのエピソードを紹介します。
1)チャーハン。
販売中のチャーハンを試食した鈴木が激怒します。「これはチャーハンではない」。部下は反論「このチャーハンは一番売れていて、お客様の支持をいただいているものです」。鈴木「売れていても、こんなものをセブンイレブンが売ってはいけない」。開発スタッフは、中華料理店のチャーハンとセブンイレブンのそれを比較します。そして調理温度が低いことに気がつきます。工場には改良型の新しい鍋が配置されます。そして理想のチャーハンが誕生します(『セブンーイレブン 終わりなき革新』田中陽 日経ビジネス文庫 p.77)。
ちなみに、セブンイレブンのおにぎり、お弁当、お惣菜は、1日3回生産、3回納品体勢をとっています。専用工場が180、92%が自社製品です。他社はせいぜい30%程度。勝負になりません。
2)セブンカフェとPB。
いつも挽きたていれたてのコーヒー、セブンカフェは2013年にスタートしました。昨年で7億杯、700億円のビジネスになっています。そして鈴木はPB(プライベートブランド)「セブンプレミアム」も開発しました。「コンビニで売っているものが、デパートで売れるわけがない」。ここでも鈴木は反対を押し切りました。「セブンプレミアム」は2007年にスタートし、2015年に1兆円の売上げになろうとしています(『鈴木敏文 仕事の原則』緒方知行+田口香世 日本経済新聞社 p.194)。
3)セブン銀行
みなさんおなじみのATMだけのセブン銀行。鈴木は専門家にことごとく反対されました。「素人がやってもうまくいくはずがない」。ところがセブン銀行は駅に、空港に、2万台以上。重要な社会インフラになっています。とくに公共料金収納サービスだけで扱いは4兆円以上。セブン銀行はなくてはならないものなりました。
3、コンビニ時代の終わり
「物まねはしない。ゼロから作る。消費者の立場に立つ。企業の都合を排除する」(前掲 田中陽 p.8からの筆者の要約)。これがセブンイレブン成功への鈴木の答です。
前例がないことをやる。だから誰も賛成できない。みんなが賛成したら、そのことはやらない。みんなが反対すれば、それはやるべきだ。鈴木の独裁はいつも新機軸を打ち出してきました。
でもわがままの独裁ではありませんでした。企業の都合を排して、消費者の声に耳を傾けてきたのです。
コンビニの商品は年間に7~8割が入れ替わります。ヒット商品はすぐに売れなくなります。そのカーブは富士山型からペンシル型に変わってきています。鈴木は1983年に日本初、世界初のPOS(販売時点情報管理)の開発に成功し、お客様の動きを見つめてきました。その鈴木敏文が、役員会の空気が読めず独裁者として追い出しを食らうとは。天才の退場で、コンビニ時代は終わります。