ビートルズになれなかったが、「ビーフボウル」を世界のヒットにした

クリエーティブ・ビジネス塾43「ミスター牛丼」(2016.10.3)塾長・大沢達男

ビートルズになれなかったが、『ビーフボウル』を世界のヒットにした」

1、『恋はスバヤク!(Short On Love)』(ガス・バッカス
ぼくは福岡で、1949年(昭和24)に団塊の世代として、生まれた。福岡は「日本のリバプール」といわれた。リバプール(英国)は「ザ・ビートルズ」を生んだ。同じように福岡・天神の親不孝通りには、ビートルズが出入りしていたようなライブハウスがあり、「海援隊」、「甲斐バンド」、「チューリップ」を誕生させた。
ぼくはミュージシャンになるために生まれた、と確信した。10才でギターを持ち、FEN(板付放送=極東放送、米駐留軍の英語放送)に耳を傾け音楽を覚えた。1964年、中学生のときにみんなの前で、米のヒットソング『恋はスバヤク!(Short On Love)』(ガス・バッカス)を歌い、喝采された。
2、『夢見るカルフォルニア(California Dreaming)』(ママス&パパス)
高校では音楽のほかに、ラグビーにも熱中した。練習は厳しかった。グランドの倒れても、ヤカンの水をかけられ、「立て!」と起こされ、「歩いてみろ!」と命令され歩くと、「なら走れるったい。走れ!」と走らされた。「限界の向こう側」を知った。人間が自分で定める限界感は緩い。不条理な世の中には、理不尽な現実がある。それを乗り越えるためには、不合理な練習にも意味がある。そのことを知った。
高校を卒業すると、音楽で身を立てるために、1968年に上京した。印刷会社に勤め、仲間たちと素人バンドを組んだ。『夢のカリフォルニア』を歌った。ぼくは花の東京で、ロックファッションにかぶれた。長髪、ジーンズ、Tシャツで帰省したぼくを、母が見て、「そんな姿で近所をうろうろするのをやめぇ」と、嘆いた。
3、『雨に願いを(I Wish It would Rain)』(テンプテーションズ
音楽への夢は少しだけ叶った。オーディションに合格し、ある音楽事務所に所属した。しかし音楽活動は鳴かず飛ばず、食うに困るような生活が続いた。そんな中である出会いがあった。音楽事務所の地下のディスコでテンプテーションズ『雨に願いを』歌ったとき、ある女性と知り合うことになった。それが今の妻「かよこ」だ。かよこは音楽がぼくにくれた最大の贈り物だ。テンプテージョンズは二人にっての最大の思い出だ。
4、『いちご白書をもう一度』(ビリー・バンバン
金に困っていた。まずかよことの生活費、そしてバンドのリーダーとしてメンバーを食わせなければならない。バイトを探した。学生援護会のアルバイトニュースに、「時給300円」、「いま話題のレストランチェーン」があった。それが吉野家だった。そしてぼくの人生は180度変わる。
吉野家で働き始めたのは1970年。それは日本ケンタッキー・フライド・チキンすかいらーくが誕生した、「外食元年」の年だった。71年に正社員になることを誘われ、1冊の本を渡される『食堂の経営技術革命ーこれがアメリカの大衆食堂だ』(渥美俊一ほか)。血が騒いだ。渥美俊一先生のもとには中内功ダイエー)、伊藤雅俊(イトーヨーカ堂)、岡田卓也ジャスコ)と後の日本を代表する創業経営者が集まっていた。71年にはマクドナルドがオープンする。そして72年にぼくは、吉野家の正社員になる。ミュージシャンではない、ミスター牛丼(ビーフボウル)としての人生がはじめる。
数年後「『いちご白書』をもう一度」(バンバン)が流行る。それはぼくのことを歌っていた。♫就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君に言い訳したね♫。季節が変わり、ぼくもかよこも変わった。
5、『ゴッドファーザー愛のテーマ(Speak Softly Love)』(アンディ・ウィリアムス
ミスター牛丼の人生は、12年ごとに節目があった。1968年に吉野家でアルバイトを開始。1980年に吉野家が倒産。1992年に会社は再建され、社長に。2004年米国のBSE(牛海綿状脳症)で牛丼廃止。そして2016年に、築地から豊洲市場への移転問題が起きている。吉野家は1899年(明治32)に松田栄吉が築地で創業。1968年にチェーン店展開が始め、1975年米国に進出、以後世界展開をしている。
2011年還暦を超えたころ、ぼくは自分より20才以上若い河村泰貴に、「映画のゴッドファザーでいえば、お前がマイケルなんだよ」と、社長になるように説得していた。マイケル(アル・パチーノ)とは米国アフィアのドン、ヴィトー・コルレオーネの3男で、父が暗殺未遂、兄が暗殺された後に、ドンになった男だ。
河村もぼくと同じ高卒のアルバイトで吉野家に働いていたやんちゃな男だ。マフィアと吉野家、同じようなものだ。倒産した吉野家は、占領軍によってまさしく社長は暗殺されそうになり、友は暗殺されるようにして会社を追われた。ファミリーの血が吉野家の牛丼を守ってきたのだ。
♫The vow of love We will make live until we die ♫(愛の誓いは死ぬまで変わらない)
ファミリーの血とは、「うまい、やすい、はやい」、「たかが牛丼、されど牛丼」だ(日経9/1~30より構成)。