クリエーティブ・ビジネス塾20「エルビス④」(2018.5.14)塾長・大沢達男
エルビス・プレスリーとロックンロールの誕生。
1、"That's all right"
ねえ 大丈夫だよ ママ /ママは大丈夫でしょ/大丈夫だよ ママ/やりたいようにやるさ/大丈夫 大丈夫/大丈夫だよ/やりたいようにやるさ
ママが言った/パパも言った/お前が好きなあの娘(こ)は/お前には似合っちゃいない/でも大丈夫 大丈夫だよ/大丈夫だよ ママ/やりたいようにやるさ
ぼくは君の町を出る/ぼくはきっと町を出る/君の追っかけを止める/君の家をうろつかない/大丈夫 大丈夫だよ/大丈夫だよママ/やりたいようにやるさ(Arthur Big Boy Crudup作詞 アオヤマゴロウ訳)
"That all right"。エルビス・プレスリーがこの曲を歌うことで、世界は変わりました。
いまから64年前1954年7月のことです。エルビス・プレスリーという19歳の若者が、プロとしてデビューするためにスタジオにいました。バラッド歌う青年は、ディレクターでサン・レコード社長サム・フィリップのOKをなかなかもらえませんでした。ギターもベースも煮詰まり、スタジオはこう着状態になっていました。そして休憩。冗談半分に歌った”ザッツオールライト”がサムの耳に留まり、本番のレコーディングが始まります。このときロックンロールミュージックが誕生しました。
その前年18歳の青年は、母親の誕生日プレゼントという名目で、自費制作のレコード録音のためにサンレコードを訪れています。社長のサム・フィリップは不在で、女性秘書が録音しました。女性はこの青年が何かを持っていることを直感します。それで「エルビス・プレスリー」という青年の名前をメモしていました。
2、"The Searcher"
エルビスの最新の話題があります。ドキュメンタリー映画『エルビス・プレスリー:ザ・サーチャー』1部2部の3時間が米国で放送され、日本でもサウンドトラックが5月9日に発売になりました(映画の公開は未定)。
サウンドトラックのCDは3枚、それに40ページの小冊子がついています。写真と映画の解説。CDはいわゆるベスト盤ではありません。録音があまりよくない貴重な音源もあります。エルビスがカバーした曲のオリジナル版が聞けます。ビギナーにはすすめません。マニアックです。エルビス研究には必須のアルバムです。
小冊子の中から、印象に残った所を紹介します。
まず「サーチャー」とは、失われた誰か、何かを探し求める人、真実や問題解決の答を捜そうとする人。エルビスは生活の貧しさや不安定のない、安全な所夢がある場所を、音楽に発見しました。
つぎに、エルビスはロックンロールを発明していない。リトル・リチャードやビッグ・ジョー・ターナーがいる。エルビスがしたことは彼らとは次元が違う。エルビスは、カントリー・ミュージックやゴスペルを取り入れポップミュージックを作った、ロックを超えた総合の人です。
そして、エルビスの活動の第1期は入隊で終わるが、そのとき奇しくも母を失っている。そのことがエルビスとゴスペルを強く結びつける。母に近づけるそして亡くなった双子の兄にも会えるから。エルビスは不滅のゴスペルシンガーになっています。
"ザッツオールライト"のヒットにより、エルビスの快進撃が始まります。まずトム・パーカーがマネージャーになります。そして1955年、地方の弱小レコード会社から米国全土から世界に広がるRCAレコードと契約します。1956年1月エルビス最初の世界的なヒット"ハートブレイクホテル"が録音されます。
3、”Heartbreak Hotel"
きみがぼくを捨てたから/ぼくは新しい居場所を見つけたよ/淋しさ通りの突き当たり/失恋ホテルさ/淋しい淋しい/ぼくは淋しい/ぼくは淋しい死ぬほどさ
ホテルはいつも混んでいる/だけど空き部屋あり/捨てられた男達が/暗闇で泣くのさ/すごく淋しいすごく淋しい/すごく淋しい/死ぬほどさ
ホテルのボーイが泣いている/フロントデスクは黒装束/みんな淋しい淋しさ通りさ/誰も戻らない/みんなすごく淋しいすごく淋しい/すごく淋しい死ぬほどさ/そうさあの娘が君を捨てたように
聞いて欲しいことがあるなら/淋しさ通りにやってきな/失恋ホテルさ/君がすごく淋しいなら すごく淋しいなら/君が淋しくて死ぬほどなら(Mae B. Axton - Tommy Durden 作詞作曲 アオヤマゴロウ訳)
繁栄の60年代が始まろうとしているのに、この詞は、ある自殺者の遺書をヒントに書かれました。エルビスの音楽は脳天気ではありません。歌うものも聞くものも、何かを失い何かに飢えています。