「ギンザシックスでモノは売れるのか」

クリエーティブ・ビジネス塾22「銀座」(2017.5.29)塾長・大沢達男

「ギンザシックスでモノは売れるのか」

1、GINZA SIX
銀座6丁目にギンザシックスが4月20日に開店してから、1ヶ月以上立ちます。
オープンの日は、来店客と入店待ちを合わせて5500人になり、建物を一周以上囲み、「入店2時間待ち」の札が掲げられました(日経4/21)。
友人の彼女が、あるファッションブランドの店員をやっているというので、早速行ってきました。
昔の「松坂屋銀座店」と、似ている。へえー昔と同じじゃん。何となく「ダサー!」。そうなんです。4丁目の松屋に比べ、6丁目の松坂屋は何となく遅れていました。その面影を感じてしまったのです。
驚いたことが、二つあります。まず6階の「蔦屋書店(TSUTAYA BOOKS)」。全フロアーに本が並べてあり、コーヒーを飲みながら、読むことができます。キャッチコピーは「ART IN LIFE アートのある暮らし。」。
世界中から集めた6万冊のアートブックが揃っています。洋雑誌の品揃え、日本一。しかも無料で読める。だったら完全に仕事場になります。40年前、広告のクリエーターだった僕は、洋書店「イエナ」(いまはない)に通いアイディアをひねっていました。いまなら、ギンザシックスの蔦屋です。
もうひとつの驚きは1階の「ターミナル ギンザ」です。訪日客への観光案内、外貨両替、手荷物の一時預かりをするバスターミナルです。これで間違いなく銀座は中国人に占領されます。
2、銀座フィルター
ギンザシックスは初め、190m超高層ビルとして計画されました。
銀座に高層ビルは必要なのか。
銀座の人たちは専門家との勉強会、シンポジウムを繰り返し、2年間に渡る議論をします。そして、高層ビルを否定します。銀座らしい建物、高さは56mに押さえられます。
銀座には以前から、「銀座フィルター」、「銀座ルール」がありました。銀座らしいものをより分ける粋な
不文律、紳士協定です。見えざる手で銀座らしくないものは自然に消えていました。
東京上空からの銀座を見ます。汐留と八重洲に高層ビル、あいだに挟まった銀座は、盆地のようにビルが低い一帯になっています。高さ56mの「稜線美(りょうせんび)」です。銀座は、大人の街、散策したい街、「銀ブラ」したい街です(日経4/23)。
3、銀座役所
「銀座」の名は「銀座役所」から。江戸時代の銀貨鋳造所「銀座役所」を駿府から、現在の銀座2丁目に移したのが始まりです。明治なって、鉄道の始発駅「新橋」と東日本経済の中心「日本橋」を結ぶ「銀座」を文明開化の象徴にするための開発が行われます。お手本はロンドンのリージェント・ストリートで、1877年頃には全街区が完成しています。
1923年(大正12年)の関東大震災で銀座も壊滅、道路拡張が行われ、ほぼ現在の姿になっています。昭和初期にはモボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)が、山高帽、ロングスカートのトップファッションで、銀ブラを楽しんでいます。

昔恋しい 銀座の柳
仇な年増を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
明けりゃダンサーの 涙雨
♫(昭和4年 西条八十作詞)
銀座の最後の輝きは1964年の「みゆき族」。若者文化の中心は渋谷、原宿、新宿に移って行きます。そして銀座は「大人の街」になり、中国人観光客による「爆買(ばくがい)の街」になっています。
「ダサー!」、はじめの印象の話に戻ります。晴海通りから京橋よりはオシャレ、新橋よりはダサイ、それが銀座でした。ところが今ではギンザシックスの真ん前がユニクロ。その左側にはアバクロ、その向かいの新橋よりにはザラ、そしてH&Mがあります。時代が変わり、銀座の中心が変わるのでしょうか。
評論家的な意見はどうでもいい。問題はギンザシックスでモノが売れるのか。1年後のいくつのテナントが残っているか。銀座6丁目はむずかしい。これが私の予測。もちろん外れて欲しいのですが。