拝啓 コペル君

クリエーティブ・ビジネス塾49「コペル君」(2017.12.4)塾長・大沢達男

拝啓 コペル君

1937年のコペル君に、80年後の2017年の僕からお手紙をします。
僕は広告代理店にクリエーターとして仕事をし、いまはフリーの物書きとして生活しています。
広告クリエーターといってもピンと来ないかも知れない。「スモカ歯磨き」の洒落た広告を見たことがありますね。あれは「寿屋」(いまのサントリー)で片岡敏郎という天才が作ったものです。僕たちは彼の不肖な後輩です。
今日、お手紙を差し上げた趣旨は、あなたコペル君が主人公の『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎原作羽賀翔一漫画 マガジンハウス)、そして原作の『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 岩波文庫)を読んで、ちょっと違和感を覚えたからです。
コペル君が主人公の「漫画」が売れています。発売部数は100万部を越える勢いです。そして僕の同業者の広告クリエーターの糸井重里さんもコペル君を絶賛しています。さらにはコペル君の原作は岩波書店を代表する雑誌『世界』の編集長だった吉野源三郎さんです。しかも文庫本では、日本を代表する知性のひとりである丸山真男東京大学教授が解説を書き、高く評価しています。
二重にも三重にも評価が高いコペル君に違和感を覚えるなんて、滅相もない。でも、勇気を持って、文句を言わせてもらいます。
まず気になったのは「人間分子」の考え方です。果たして私たち一人一人はバラバラのでしょうか。私は人間。「人(ひと)」の「間(あいだ)」です。”One for All, All for One." 私は、あらかじめひとりを超えた共同体の私、ではないでしょうか。私は、日本人としての、私ではないでしょうか。
私は、両親の子です。父もまた両親の子、祖父も、曾祖父も、両親の子。そして日本人はみな、天皇陛下の子です。
私たちには、「古事記」あり、「日本書紀」があります。これが私たちの歴史です。日本の伝統です。
次に、「貧乏な人々」への考察です。
「おじさんのNote」では、「若い衆たちは、自分の労力のほかに、なに一つ生計をたててゆくもとでを持ってない。一日中からだを働かせて、それで命をつないでいる」と、書かれています。
僕は、コペル君と同じ歳に、父を失いました。母と兄弟の力で育てられ、大学に行き、就職試験を突破し、日本を代表する企業に入りがんばってきました。もとでなど何もありません。自分で言うのは気が引けますが、才能でクリエーターの仕事をやってきて、家庭を持ちました。「命をつないでいる」なんて、バカにしていませんか。
仕事は「客よし、店よし、世間よし」です。僕は自分の才能で、世の中のために仕事しています(しようとしています)。
そして、いちばんいちゃもんをつけたくなるのは、「人類の進歩の歴史」が、何かつけて説かれることです。
あたり前ですが、科学技術は進歩します。機関車は新幹線に、荷馬車は自動車に、船は飛行機に、新聞はテレビに、手紙はインターネットに、なりました。では21世紀の人間は19世紀の人間より進歩し、進化しているのでしょうか。
あるいは、万葉集の歌は平成の歌謡曲より劣っているのでしょうか。縄文時代の日本人は猿のようだった、のでしょうか。過去の人間は現在より劣っていたのでしょうか。「人間は(中略)、その恊働の力によって、<野獣同然>の状態から抜け出して来た」とは、いつのことを言っているのでしょうか。100万年前?10万年前?だったら、それと2~3000年の世界の歴史を並べ、論ずることはできません。自分は進化した人類だとでも思っているのでしょうか。
さらに、もうひとつ。「ギリシャ」崇拝です。
仏像はギリシャ人が作り出しものである、この記述に続いて「世界の歴史からいえば、まだ子供見たいなものだったけれど、日本人は、すぐれたものはすぐれたものだと感心し、ちゃんとその値打ちがわかるだけの心をもっていたんいた」、とあります。おじさんはコペル君に日本は<子供見たいなもの>、ギリシャは<大人>と教えています。この西洋中心の歴史観は通用しません、誤りです。
コペル君、せっかく君が成功を収めているのに、ケチをつける、「不肖」の僕を笑ってください。
そして気がつきます。僕の文句は、『漫画 君たちはどう生きるか』のマガジンハウスではなく、オリジナルの『君たちはどう生きるか』を出した「吉野源三郎」と「岩波書店」に向けられています。
コペル君の時代の岩波書店共産主義「講座派」の拠点としての役割を果たしてきました。そして戦後の岩波書店羽仁五郎の本を出版し、日教組の拠点になりました。羽仁五郎GHQ共産主義勢力と協力し、「平和と民主主義」のために日本を米国に売り渡しました。
文庫本の解説の中で丸山真男元東大教授は、『君たちはどう生きるか』が優れた『資本論』(カール・マルクス)の入門書である、ことを解き明かしています。コペル君、残念ながら、共産主義が正義であった時代は終わりました。1991年にソ連は解体、そして大学の経済学部からマルクス主義経済学の講座はなくなりました。
コペル君、あなたが学んだのは生き方としての『資本論』、つまり共産主義者の生き方を学びました。『資本論』は不滅の業績です。しかし「共産主義者」、そして反天皇、護憲、非武装平和の「平和主義と民主主義」は日本の病巣になり、日本民族の減少をもたらし、日本国家を滅亡に導いています。
コペル君、もう一度青春を、もう一度日本と日本人を学び直そうではありませんか。