あなたは、まだ社会(変動)の「運動法則」を信じていますか。

クリエーティブ・ビジネス塾4「社会の運動法則」(2018.1.22)塾長・大沢達男

あなたは、まだ社会(変動)の「運動法則」を信じていますか。

1、社会科学という「科学」
ニュートン(1642~1727)の万有引力の法則のように、自然現象を一つの理論で説明できないか。あるいはダーウィン(1809~1882)の『種の起原』のように、人類史を社会進化論として統一的に説明できないか。社会科学は「科学」としてコンプレックスを持っていました。社会科学が「科学」となるためには何が必要であろうか。そしてマルクス主義経済学が誕生しました。
「近代社会の経済的運動法則をあきらかにする」、「経済的社会構成の発展を一つの自然的過程として捉えようとする」。(『資本論第一巻』p.9 カール・マルクス 今村仁司三島憲一・鈴木直訳)
いまから半世紀前、私たちはこのマルクス(1818~1883)の言葉に感激し、「科学」としての経済学や社会学に熱狂しました。しかしマルクスが言う所の、封建社会市民社会社会主義社会、共産主義社会の社会発展の法則は、見事に現代史によって裏切られました。その象徴が1991年のソ連邦の崩壊です。
にもかかわらず、残念なことです。自らが青春時代に築き上げた、価値観を切り崩し、新しい世界観を構築することはむずかしい。団塊の世代は相変わらずマルクス主義的世界観から抜け出せないでいます。
『君は何のために生きるのか』(吉野源三郎 岩波書店)がその証拠です。原著も漫画本もマルクス主義を講釈しているだけです。それなのにベストセラーになっています。驚きです。
2、岩井克人(1947~)
宇野弘蔵マルクス経済学(マルクス「主義」経済学ではない)を学んだ岩井克人国際基督教大学特別招聘教授)が、西欧社会、米国社会を唯一の「普遍」とする思考法からの脱皮を提案しています。
まず岩井は戦前の「講座派」と「労農派」のマルクス主義者の論争から説き起こします。講座派は日本社会を天皇制(皇室伝統)という封建制の「構造」を持った社会と規定し、たいして労農派は日本社会が西欧資本主義に「遅れ」た社会であると主張しました。封建制ならば市民革命がまず必要、資本主義社会ならつぎは社会主義革命でよい。両派は血みどろの戦いをします(今から考えれば喜劇)。
しかし岩井は同じ論争が、90年代の日本で展開されたと指摘します。日本は失われた20年、米国は未曾有の高成長。日本経済の停滞の理由は、独自の文化による「構造」か、市場自由化の「遅れ」か。
以上の論争を岩井は、欧米の「唯一の普遍」からの逸脱しているか否かの思考法だ、と断ずるのです(「時代の節目に考える①」日経1/4 岩井克人)。
1)米国型資本主義は株主主権を絶対視し、会社を株主の利益を追求する単なる道具(モノ)と見なしている。2)株主利益の最大化には、経営者を株主にすればいい。そしてストックオプションを中核とする報酬制度を導入した。3)経営者の報酬は平均的労働者の350倍に高騰した。上位1%の高所得者が全所得の20%を手にしている。岩井は、米国の不平等化の元兇は、株主主権論だと批判します。それ以上に注目すべきは西欧崇拝の否定と社会(変動)の運動法則の否定です。
3、苅部直(1965~)
丸山真男の孫弟子にあたる苅部直東京大学教授)は、従来からのマルクス主義的な社会(変動)の運動法則を全く否定します。1868年の明治維新、王政復古を、時代の節目と見ることはできない。維新革命は、1615年の大阪夏の陣、徳川政権の確立から始まっている、400年の歴史で考えるべきである。
1)徳川時代の日本はアジアでは例外的な経済成長を遂げていた。2)町や村のリーダーは経済力と知識を蓄え「封建制度」の身分秩序への批判を膨らませていた。3)人々の知恵が成長し「門閥を厭(いと)うの心」、身分制度への不満が膨らんでいた。
福沢諭吉が指摘するように維新革命は1868年の事件にとどまる出来事ではないのです。さらに福沢は、
1)公論とは儒学の精神である。2)文明と開化(Civilization)は儒教と最高の形容詞である。3)東アジアの伝統思想の中で西洋思想と共通するものが「文明」だ(「時代の節目に考える⑤」苅部直 東京大学教授)、と指摘し、日本やアジアが劣っているとは考えませんでした。
戦後の日本でもてはやされた日本人論に『菊と刀』(ルース・ベネディクト)があります。米国戦時情報局員のルースは日本人を未開人、日本を封建社会として描きました。そしてこれを基にしたGHQ占領政策は、共産主義の戦前否定理論と手を結び、団塊の世代の世界観の形成に影響を与えてきました。
時代は節目を迎えました。いまこそ、占領思想と「天皇制ファッシズム」理論から脱皮すべき時です。