「ジャズ評論家・村井康司は趣味がいい。まず左翼じゃない。」

クリエーティブ・ビジネス塾24「ジャズ①」(2018.6.11)塾長・大沢達男

ジャズ評論家・村井康司は趣味がいい。まず左翼じゃない。

1、村井康司
ごく私的な理由(どうもご近所らしい)でジャズ評論家・村井康司を研究することになり、『あなたの聴き方を変えるジャズ史』(村井康司 株式会社シンコーミュージック・エンターテイメント)を手に取りました。A5版の分厚い本。内容は、ジャズの歴史を越えて軽音楽の500年史、といったスケールの大きなものです。
同じような仕事をした先人に、中村とうよう(1932~2011)がいます。中村はジャズ評論家からロック評論家に転身し『ニューミュージック・マガジン』(1969年 現ミュージックマガジン)を創刊し、日本のロック&フォークの世界に大きな貢献をしました。団塊の世代は中村によってロック・ジェネレーションになったと言っても過言ではありません。中村は音楽に幅広い見識を持っていました。ジャズ、ロック、フォーク、民族音楽そしてワールドミュージックへとその論を進めて行きました。当時、ジャズ評論の岩浪洋三、ロックの渋谷陽一民族音楽研究の小泉文夫音楽学者の皆川達夫などがいましたが、中村はそれらの人を総合するような広い分野で発言できる人でした。しかし、残念。結論は左翼。政治批判は鼻白むものばかりでした。
村井康司は、中村と同じようにブロードバンドの貴重な人ですが、左翼ではありません。村井は政治論議のかわり、コード(和音)分析をします。よくわからないけど・・・なるほど!なぜか説得力があります。
2、フュージョン野郎
村井康司は1958年生まれ、フュージョンが大流行の1976年に函館から東京の大学に入ります。「カシオペア」と同世代というのですから、驚きです(p.226)。若い(でもそれは、本の後半になってから初めて知った事実、もし最初から知っていたら、フュージョン野郎の、失礼!ジャズ論なんか聞きたくない、偏見があったはずです)。
『あなたの聴き方・・・』は、堂々たる音楽論、ジャズの正史です。ルイ・アームストロングデューク・エリントンベニー・グッドマンチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィスジョン・コルトレーン。そして「とっ散らかちゃう」1980年代以降、と村井は告白、いいですね。
「我が国の批評家、相倉久人コルトレーンの死を『ジャズの死』と位置づけ(後略)」(p.191)・・・。この一行の引用があるだけで、ほとんどはジャズファンは『あなたの聴き方・・・』という本の存在意義を認め、村井康司を単なるフュージョン野郎ではない(またまた失礼)、正統的なジャズ評論家として認知したはずです。
私的に感じ入った村井の魅力を3つ紹介します。
第1、米国のカントリー音楽の分析の中でイギリスの「ペンタングル」が出てくる所。趣味がいいです。
第2、エルビス・プレスリーがいかに偉大であったかの説明。「(エルビスが背負うことになった音楽史/文化史の重みに比べれば)ビートルズローリング・ストーンズのメンバーは少しばかり音楽的センスに恵まれた青年たちにすぎないのだ」(p.150 大和田俊之『アメリ音楽史』からの引用)。
第3に、イギリスのロック・ミュージシャンがジャズ系出身である。キース・リチャード、ジンジャー・ベイカーそしてロバート・プラントも。60~70年代イギリスの音楽ンーンはごちゃまぜという指摘です。
やっぱり、村井は音楽の趣味がいいです。
3、アルバート・アイラー
謎があります。村井はアルバート・アイラーを無視しています。
ジョン・コルトレーンは1967年7月17日に亡くなっています。ジャズが死んだ日です。村井はオーネット・コールマンエリック・ドルフィーコルトレーンと同列にして論じています。しかしそこでアルバート・アイラー(1936~1970)は論じられていません(p.193、p.194に名前があるだけ)。
1966年、日本最古のジャズ喫茶、横浜・野毛の「ちぐさ」で、店主の吉田衛さんに、アルバート・アイラーをリクエストしたときに、吉田さんは「おじさん、あーゆーの好きじゃないんだよ」と、リクエストを断られました。アイラーに反旗を翻した吉田衛、それはわかります。
しかし1967年、東銀座のジャズ喫茶「オレオ」では、連日アルバート・アイラーターンテーブルに乗っていました。そして1968年、日本のアルバート・アイラー、伝説のサックス奏者阿部薫(1949~1978)が「オレオ」でデビューしています(映画『エンドレスワルツ』)。さらにジャズ評論家の相倉久人平岡正明が「オレオ」とアイラーのアルバム『ゴースト』のことを話しています(ネットより。2005年音楽出版社での対談)。アイラーは日本のジャズシーンを席巻していました。なぜ村井健司は、嫌ったのでしょうか。