どうしても好きになれない国立競技場、隈研吾さんには注目していますが。

TED TIMES 2021-29「隈研吾」 7/20 編集長 大沢達男

           

どうしても好きになれない国立競技場、隈研吾さんには注目していますが。

 

1、ザハ・ハディッド(1950~2016)

設計コンペで勝利しながら、建築されなかったザハ・ハディッド案の国立競技場のデザインが、いまでも忘れられません。

第1に、ザハ・ハディッドの新国立競技場で、東京2020オリンピック・パラリンピックを目撃した人類は、ITとAIの人類の新しいステージが始まることを予感したはずです。人類とアンドロイド(未来人類)のエンカウンター・ゾーン(遭遇場所)になったはずです。

第2に、あの未来の宇宙船(新国立競技場)は、世界都市・東京のシンボルになったはずです。競技の後も、観光バスが立ち寄る必須のコースになり、日常的なさまざまなイベント開かれ、私たちが足繁く通うような街の一部になったはずです。

第3に、ザハ・ハディッドの国立競技場から、明治神宮外苑と明治時代からの古き東京の改造が始まったはずです。日本人は日本人として誇りを持つようになり、少子高齢化社会から脱出に成功します。そして自己中心的な内向き思考を改め、手前勝手な平和と民主主義を卒業できたはずです。ザハ・ハディッド案は、いかなる予算的な困難があろうとも、未来への投資して建設されるべきものでした。

2、隈研吾

ザハ案が第1回の設計コンペで選ばれたときに、ザハ案への抗議、反対運動が起こっています。

「外苑の森にふさわしくない」、「環境破壊である」という建築家・槙文彦の抗議です。隅研吾は、槙の求めに応じて、この抗議に賛同しサインしています。やがてザハ案は予算オーバーで撤回になり、第2回コンペに隈研吾大成建設と梓設計から新国立競技場の設計の依頼を受けます。

第1、木で国立競技場を設計する。1964年の丹下健三は、コンクリートと鉄で、代々木競技場という傑作を作った。しかしこれは工業化と高度成長のシンボルでしかない。これからはコンクリートと鉄に変わって木である(『ひとの住処』 隈研吾 新潮新書 p.164)。

第2、高いことは恥ずかしいことである(p.169)。1964年丹下健三は高いことは価値がある時代の要望に応えて、高く芸術的な2本のタワーを建て、そこから屋根を吊り下げた。ザハ案の高さは75メートル。外苑の森に建築には違和感があった。旧国立競技場でも60メートル、それを47.4メートルに抑えた。

第3、節約設計(p.171)。建物を低くすることは節約につながる。国家的イベントだから予算をふんだんに使ってのよい時代ではない。

隈研吾は、現代の国立は、小さな物の、水平的で、ヒエラルキーのない集合体でなければならない(p.193)と構想します。しかしその前提になっている守るべき「外苑の森」とはなんでしょうか。明治神宮はまだしも、明治天皇を追悼する競技場・絵画館・神宮球場の外苑は、新しい日本のために改装されてもいいものです。

3、東京国立近代美術館

隈研吾展(東京国立近代美術館)では、「孔、粒子、ななめ、やわらかい、時間の5原則」と「東京2020 ネコちゃん建築の5656原則」のコンセプトのもとに展示が展開されていました。

とくに感銘を受けたのは、近代の合理主義を批判した「ななめ」のコンセプトです。さらに「東京2020」は丹下健三の「東京1960」に対抗して構想されたもので、都市を上からではなく、下から見るべき、であると提案しています。

隈研吾はある意味でヒッピーのようで、好感が持てます。しかし隈研吾共産主義信仰は疑問です。「習近平は、地域の伝統をリスペクトした、環境に調和した建築を推進している」と、評価しています(p.140)。

結論。

1)国立競技場の前身は明治神宮外苑競技場(1924~1957)。陸上トラックでした。隈研吾に国立競技場は、1964年以前の時代に戻ります。

2)隈研吾の設計案が当選した時、ネットの東京2020の紺のシンボルマークの旗に囲まれた「国立葬儀場」のギャグが投稿されました。まさしく新国立競技場は、日本滅亡のモニュメントなるでしょう。

3)そして「節約」の新国立競技場は、何の価値観も提示できなかった、巨大な「浪費」に終わるでしょう。