新しい学問「歴史人口学」が、エキサイティングな成果を上げています。

THE TED TIMES 2023-06「歴史人口学」 2/10 編集長 大沢達男

 

新しい学問「歴史人口学」が、エキサイティングな成果を上げています。

 

1、エマニュエル・トッド磯田道史、そして速水融(あきら)。

<民主主義、自由、平等・・・現在、人類の普遍的な原理と思われているものは、英米アングロサクソン核家族の考え方でしかない>

<日本人は長男が家を引き継ぐ直系家族である>

<日本が米国製の日本国憲法を後生大事に抱えているのは、日本が米国の占領地ないしは属国でしかないことを示している>

歴史人口学を標榜するエマニュエル・トッドの登場は衝撃的でした。「歴史人口学」って何だろう、興味津々になりました。

そこで『歴史人口学で見た日本』(速水融 文春文庫)を早速手にしました。

するとわかりました。速水融(1929~2019)、エマニュエル・トッド((1951~)、磯田道史(1970~)が歴史人口学の3兄弟だったのです。

歴史人口学は、フランスのルイ・アンリの1956年の「ジュネーブの研究」と1958年の「北フランスの研究」によって、日本では速水融の1973年の「諏訪地方の研究」から始まります。

エマニュエル・トッドの『我々はどこから来て、今どこにいうのか?』(エマニュエル・トッド 堀茂樹訳)は2017年(日本では2022年)の研究です。歴史人口学はめちゃめちゃ新しい学問です。

2、明治維新

奈良朝末期の日本の人口は、560万人が定説です。江戸初期には1800万人と言われていました。900年間に3倍増えた。速水融はそこに疑問を投げかけます。

1800万人の論拠は1石1人、速水は1石0.7人位だろうと提示します。すると1260万人。この数字から享保期の3000万人と増加したとすると、諏訪地方の研究結果の増加率2.5倍と一致するというのです。

諏訪地方では何を使って研究したか。「宗門改帳」です。キリシタンがいるかいないかを確認するためのものです。諏訪藩は宗門改めを1671年から明治4年まで201年間やりました。

江戸時代の後半の人口はあまり変化しませんが、停滞していたのではなく、「西高東低」のダイナミックは人口変動があります。北関東は減、山陽は増。

で、明治維新とは何か。人口が増えた西日本には、長州や薩摩があった。増えた人口はすることがない、その不満が溜まって明治維新になりました(p.136)。

その論拠となるのは「都市アリ地獄説」です。

江戸時代を通じて人口が減っている二つの地方があります。関東地方と近畿地方、なぜか江戸と京都・大阪を抱えているからです。

都市は人を引きつけて、殺してます。江戸っ子は三代もたない、という俗説があります。

3、3つの日本

1)東北日本・・・15歳ぐらいから早く結婚、子供を産んで、また働く。一つの家の中に親子三代、親子四代が一緒に住む直系家族。東北日本にはもともとアイヌの人々が住んでいた。縄文時代人。生業は狩猟・採取。縄文時代の日本の人口は4~50万人。人口を増やすと共倒れになるので、出生制限をした。

2)中央日本・・・23歳場合によっては、25歳以上で結婚。めいっぱい子供を産む。夫婦と子供、せいぜい夫婦の親、二代ないし三代が住む核家族か、直系家族。弥生文化を背負った渡来人。稲作、鉄器を作る技術を持っていた。紀元前2~3世紀に日本にやってきて紀元後6~7世紀に大和朝廷を作った。

3)西南日本・・・東シナ海沿岸。結婚年齢は遅いが、結婚前に子供を産むこともある。離婚も多い、性行動に関して自由。傍系の夫婦まで一緒に住む合同家族と直系家族。南の方から来て、琉球、天草、対馬済州島(韓国)に住み着いた。その風習は東南アジアと一致するものが多い。若者宿、夜這いなどの慣行がある。

以上の三つが一つになって日本ができました。以上は、速水融の仮説中の仮説でしょう。

歴史人口学が日本の国体をあきらかにしてくれる日が楽しみです。直系家族のモデルである万世一系天皇家には苗字がありません。天皇家に歴史人口学の光が当たる日を期待します。