THE TED TIMES 2023-15「野菊の墓」 4/15 編集長 大沢達男
叶わぬ恋を描いた『野菊の墓』に、人はなぜ涙する、号泣する。
なぜ、政夫と民子は、結ばれなかったのでしょうか。
なぜ、小説『野菊の墓』(伊藤左千夫 新潮文庫)に、人は涙するのでしょうか。
政夫と民子の二人は15歳と17歳、民子がふたつ年上でした。
民子は、政夫の家に病弱な母を助けに来ていた、親戚の人でした。
二人は姉弟としてつきああい、毎日の生活の中で、知らず知らずうちに親しくなっていきます。
まだ子供でした。
それがいつの日か恋心に変わっていきます。
<「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き・・・・・・」
「私なんでも野菊の生れ変りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き・・・・・・道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」(p.30)(中略)
真(まこと)に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風であったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気という所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風邪だった」(p.31~3)>
二人の恋心は自然の中で育てられます。
<天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。着物を一枚ずつ脱ぐ。風を懐へ入れ足をの展して休む。青ぎった空に翠の松林、百舌が何処かで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地の間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。>(p.36)
<僕は水を汲んでの帰りに、水筒を腰に結いつけ、あたりを少し許り採って、「あけび」を四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆の花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた>(p.41)(中略)
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして、りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった」(p.44)
<「政夫さんはりんどうの様な人だ」「どうして」
「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がしに竜胆の様な風だったからさ」>(p.44)
しかし、野に咲いた野菊と竜胆(りんどう)、二つの花の恋心は、引き裂かれます。
まず政夫は予定より早く、学校へ行かされ、家を出ます。
そして政夫が学校に行って家を離れているときに、政夫に何の相談も知らせもなく、民子は嫁に出されます。
<政夫と夫婦にすることは此母が不承知だからおまえは外に嫁に往け。>(p.75)
<霜月半ばに祝儀をしたけれど、民子の心持がほんとうの承知でないから(中略)民子は身持になったが、六月でおりてしまった。跡の肥立ちが非常に悪く遂に六月十九日に息を引き取った>(p.74)
民子は、政夫の「写真」と、かつて政夫からもらった「手紙」を、抱いて亡くなっていました。
その手紙にはこう書いてありました。
<学問をせねばならぬ身だから、学校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなこと何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい。政夫 民子様>(p.53)
なぜ、引き裂かれた恋心に人は、涙するのでしょうか。
号泣、そして涙で本が読めなくなり、涙を拭いて、気を取り直して再び小説へ、そしてまた号泣。
なぜ、ひとは『野菊の墓』に、涙するのでしょうか。