「南京大虐殺」での、朝日新聞の横暴は、大虐殺以上に怖い。

THE TED TIMES 2023-24「南京事件」 6/23 編集長 大沢達男

 

南京大虐殺」での、朝日新聞の横暴は、大虐殺以上に怖い。

 

1、本多勝一(『中国の旅』 1971年 朝日文庫

従軍慰安婦報道で、朝日新聞は2014年8月5日に誤報を認め、謝罪しました。誤報の元になったのは、吉田清治の発言です。

吉田は1977年『朝鮮人慰安婦と日本人』、1983年『私の戦争犯罪』などで慰安婦について発言を続けてきました。

朝日は1986年から確認できただけで16回、吉田証言をもとに慰安婦報道を続けてきたと、自社の記事を誤報として撤回しました。

しかし朝日新聞はこれで変わったでしょうか。何も変わりません。

そして慰安婦報道以上に大きな誤報南京大虐殺」については朝日は誤報と認めていません。

朝日新聞が何も変わっていない証拠です。

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朝日新聞記者であった本多勝一は、1971年6月から7月の40日間、中華人民共和国を取材しています。

このときの記事をまとめ加筆したものが『中国の旅』で、「南京大虐殺」はそのなかにあります。

本多が訪れた1971年の中国とは毛沢東時代です。1971年9月には毛沢東暗殺を狙った林彪事件、1972年2月にはニクソン訪中、そして1972年9月には田中訪中のとんでもない時代です。

本多の訪中の目的を聞いて驚きます。

1)戦争中の中国における日本軍の行動を、中国側の視点から明らかにする。2)中国人の「軍国主義日本」像を具体的に知る。3)とくに日本軍の残虐行為に重点をおき、虐殺事件のあった現場を直接たずね歩いて、生き残った被害者の声を聞く(『中国の旅』 p.10)。

取材は中国政府の言いなりです。取材対象を選べません。証言はすべて通訳の翻訳通りです。アテンドしているのは中国共産党員です。こんなものを取材とはいえません。中国共産党のロパガンダです。

日本は軍国主義で暴走し、日本軍は虐殺をした。初めから結論ありきの取材です。

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本多は、『中国の旅』の「南京」の部分の取材目的を、「有名な『南京大虐殺』の被害者たちから直接話をきき、現場を訪ねて歩くこと」(p.225)として2日間に4人の取材をします。姜さん(43歳)、陳さん(53歳)、梅さん(50歳)、女性の蔡さん(60歳)です。

姜さん(43歳)の証言を紹介します。

「1937年12月12日午後4時ごろ、南京に侵入してきた日本軍は(中略)、機関銃、小銃、手榴弾などを乱射し(中略)大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した。(中略)南京城北7キロの燕子磯(えんしき)では10万人に及ぶ住民を砂原に追い出しておいて、機関銃で皆殺しにした。(中略)

このときまでに南京城内も合わせて約20万人が殺されたとみられている。(中略)虐殺は、大規模なものから1人~2人の単位まで、南京のあらゆる場所で行われ、日本兵に見つかった婦女子は片端から強姦を受けた。紫金山(しきんさん)でも2000人が生き埋めにされている。こうした歴史上まれに見る惨劇が翌年2月上旬まで2ヶ月ほどつづけられ、約30万人が殺された。」(p.227~231)。

姜さんの証言は自らが目撃したものではありません。伝聞です。風説にすぎません。

虐殺のあったとされる南京城内と燕子磯と紫金山はそれぞれ数キロ離れています。中国人の姜さんが見て歩ける距離ではありません。

そして姜さんが言う、犠牲者の20万~30万の数字は、一人の人間が把握できる数字ではありません。だれがカウントし、発表してものでしょうか。これも風説です。

因みに本多勝一は、日本軍が殺した中国人について注を設けて、30万人、34万人、43万人が事実に近いと、本の中の脚注で解説しています。もちろんなんの証拠もなしにです。

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本多の報道には基本的な矛盾があります。

まず本多は自ら、南京大虐殺が日本人に明らかになったのは、極東軍事裁判からであるとしています。なぜそうなったのか理由を説明していません。

朝日新聞は何をしていたのでしょうか。1937年12月30日に朝日新聞は南京攻略戦を報道しています。

「遺棄死体のみを以てするも8万4000の多きに達しこの間我が軍の被れる損害は戦死傷者約4800名あり」と大勝利を報じています」(『歴史問題の正解』有馬哲夫 p.15~6)。

つぎに本多を案内している中国共産党は日本軍と戦っていません。当事国ではありません。

日本軍が戦っていたのは蒋介石の国民党軍です。中華民国=台湾です。共産党員に当時の証言は不可能です。

さらに複雑なのは日本も国民党も宣戦布告をしていません。日中間の戦いは「戦争」ではなく「事変」でした(同前 p.30)。

日本軍と戦ってもいない中華人民共和国の案内で、南京攻略を語ることはできません。

 

2、渡部昇一(「私と昭和史」 2007年 『Will』増刊)

渡部は、ニュルンベルク裁判の「ユダヤ人虐殺」に合わせるために、東京裁判極東軍事裁判 46.5.3~48.11.12)で「南京大虐殺」をでっち上げたと主張します。

まず事件が起きた37年(昭和12年)の日本は景気がよく物資も不足していませんでした。

南京には日本の新聞記者など100人の報道関係者がいますがだれひとり「虐殺」を報道していません。

つぎに国民政府の蒋介石は南京の落城から、漢口・重慶に逃げています。

その間に何百人の外国人記者から300回もインタビューを受けていますが、一度も「南京虐殺」に触れていません。

南京事件はあくまでもまぼろしでした。

さらに渡部は『極東国際軍事裁判速記録』で南京在住のマギー牧師の証言に触れています。

南京事件はマギー証言で「大虐殺」になりました。しかし東京裁判の反対尋問でマギー証言は全て伝聞であることがわかります。

そして渡部は、「大虐殺」はない、との確信をもつようになります。

 

3、有馬哲夫(『歴史問題の正解』2016年 新潮新書

有馬哲夫の『歴史問題の正解』によれば、南京事件の発端は占領軍・GHQのCIE(民間情報教育局)です。

CIEは『真相はかうだ』というNHKのラジオ番組で日本人を洗脳していましたが、46年8月にこのラジオ番組を書籍化し『真相箱』として出版しました。

この本の「陥落前の南京」という章で、「37年12月7日からおよそ1週間のあいだに日本軍が2万人(原文のまま)の中国人に行った『暴行』」が記述されました(p.20)。

目的は日本軍による残虐行為を日本人に周知徹底させるためにです。

そしてGHQは、広島・長崎の原爆投下に対する日本人の非難を封じるための対抗策として、「南京事件」の被害者を膨れ上げます。

広島・長崎の死者は20数万人、南京での虐殺は30万人と数字合わせされるようになります。中国側も「南京30万人大虐殺」を主張するようになります。

歴史の検証ではありません。プロバガンダです。

なぜ南京事件が起きたか、渡部昇一も有馬哲夫も共通してあげるのは、戦いの途中で逃げ出した国民党政府軍事委員長・蒋介石です。

もう一人司令官の唐生智(とうせいち)、彼も部下を見捨て逃亡しました。

敗残兵は一般市民を殺し衣服を奪い安全地帯に逃げました。これが事態を複雑にしました。いわゆる便衣兵、軍人か市民かわからなくなってしまいました。

これが歴史的な事実です。

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南京事件の論争に加わる気持ちはありません。

本多の『中国の旅』が発端になり、「南京大虐殺」が日本の知識人の常識になっている、のは間違いありません。

南京大虐殺」をまぼろし、と主張すれば間違いなく右翼とされます。

なぜなら朝日の力は巨大だからです。『中国の旅』は、『週刊朝日』、『朝日ジャーナル』、『アサヒグラフ』にも掲載されました。

つまり「南京大虐殺」はリベラル派にとって常識です。

従軍慰安婦誤報」を朝日新聞が認めても、日本軍はやりたい放題だったとの、風評は全く変わりません。

どなたか「南京大虐殺」は誤報の訴えを、朝日新聞に起こしていただけないものでしょうか。

ひとつひとつ地道に潰していく以外に、日本と大和民族再生への道はありません。