被爆者の体験は絶対的ですが、平和思想は人それぞれでいい。

THE TED TIMES 2023-30「中沢啓治」 8/15 編集長 大沢達男

 

被爆者の体験は絶対的ですが、平和思想は人それぞれでいい。

 

1、『はだしのゲン

広島原爆の被爆者の体験は、『原爆の子』(長田新編 岩波書店)と『はだしのゲン』(中沢啓治 汐文社)によって、伝えられています。

でも、この二つの原爆体験記には、根本的な違いがあります。

『原爆の子』は1951年6月、GHQ言論統制のもとに出版されました。

内容は小学生から大学生までの105人の原爆体験の手記で、広島文理科大学学長の長田新により編纂されたものです。

対して『はだしのゲン』は、1974~87年に『少年ジャンプ』、『文化評論』(日本共産党中央委員会)、『教育評論』(日教組機関紙)などに連載されました。

もちろん作者である中沢啓治の個人の作品で、個人の主張が色濃く出た、イデオロギッシュなものです。掲載された共産党日教組のメディアから分かるように、その主張はマルクス主義の影響を受けています。

天皇制ファッシズム」が大東亜戦争(「太平洋戦争」はGHQの用語)を起こし、国民がそれの犠牲になったというものです。

『原爆の子』で長田新が書いた序文に、なんと『はだしのゲン』の作者・中沢啓治が登場します。

「学校につくと、きゅうに思い出した。わすれ物をしたのだ。ぼくは早速家の帰ろうと思い、学校の裏口までに来た時、一人のおばさんが、ぼくにたずねた。そのおばさんは、ぼくらの組みの人のおばさんでした。ぼくはそのおばさんと色々話をしていると(江波中、中沢啓治)」(『原爆の子』上 p.50)、原爆が投下されたというのです(筆者注:「江波中」はおかしい。「神崎国民小学校」の間違いか。しかしその校名は『原爆の子』にない)。

同じシーンが漫画の『はだしのゲン』にも描かれています。

(小学校の門と塀の前で)

おばさん「ちょっと」。

ゲン「なんねえおばさん・・・・・・?」

おばさん「一年生の授業は 学校でやるの それともお寺で やるの?」

ゲン「わしゃ わからんよ 先生に きかんと」

そしてゲンが空を見て

「B29じゃ」

となるわけです。

中沢啓治は小学校の裏口の門柱と塀のおかげで助かっています。

 

2、中沢啓治(1939~2012)

中沢啓治の父親は蒔絵師で、反戦主義の思想犯として特別高等警察により1年6ヶ月拘束された人物です。

はだしのゲン』に登場するゲンの父親も同じです。

ゲン「日本が神国で天皇陛下は神様で 神風がふいてかならず戦争に勝つこともウソか?」

ゲンの父親「そうだ。いまの日本は学校も新聞もラジオも警察も軍隊も  戦争をおっぱじめた軍部の独裁者のいいなり・・・おまえたちにも うそをおしえて いるんだ」(『はだしのゲン』 1 p.74)

物語では食糧難で田舎に来た都市生活者がいじめれらます。

村のもの「やい まちから 疎開してきた ヨソ者! われら ここで なにを しとるん なる ヨソ者のおまえらに この村を かってには させんぞ みんな やっつけ たれ・・・・・・っ」(p.132)

つぎに皇室を否定します。

ゲンの父親「天皇陛下も くそも あるもんか わしら あすのめしが くえなくて 死にそうなのに・・・ 天皇陛下が めしを くえなくて 泣いたことが あるか!」(p.172)

ゲンの兄昭二「(予科練で自殺した花田を偲んで)ふふふ 花田 おまえは うかばれないのう おまえは 国のためでもない 天皇のためでもない 人間らしく 生きようとして 殺されたんだ」(p.222)

はだしのゲン』が描かれたのは、70~80年代です。やはりそのベースには、マルクス主義があります。

一方で『原爆の子』は、GHQ言論統制の時代に出された本ですが、奇跡的な原爆体験の手記になっています。

秘密は編者の長田新にあります。

長田新は教育学者としてスイスのペスタロッチ賞を受けていました。スイスとは、GHQマッカーサーによって、日本が目指すべきとされた国でした。

GHQのCIE(民間情報教育局)は、厳しい検閲の中でも、長田新に寛容であったに違いありません。

もちろん『原爆の子』には、白人の黄色人種への偏見が広島に原爆を投下したという、人類最大の犯罪についての言及はありませんが。

そのかわり被爆体験記にも関わらず、戦前の日本人の美しさが、描かれてます。

母の愛、父の愛、献身的な兵隊さん、そして敬語、私たちが戦後失ったものに触れることができます。

誤解を招かないように言っておきますが、原爆の悲惨さについては、言葉を失います。

『原爆の子』でも『はだしのゲン』でも、流れ落ちる涙で、何度も本を閉じなければ、ならないからです。

 

3、NHKテレビ朝日

はだしのゲン』が2023年度から広島市の学校の教材から姿を消し、そのことを受けて、NHKテレビ朝日が特集を組み、取り上げました。

まずNHKの「『はだしのゲン』はなぜ”消えた”?」(8/2 クローズアップ現代)です。

広島市教育委員会は削除理由ととして、『はだしのゲン』が描く、浪曲を歌うシーンは子供に分かりにくい、家族のために鯉を盗むシーンは教育上不適切・・・と、まあどうでもいいことをあげています。

問題は中沢啓治マルクス主義的な平和思想にあったはずです。なのにNHKは、教材削除の背後に底知れぬ保守・反動の力があるかのように描きました。

番組を進める桑子真帆アナウンサーは、台本通り喋っているだけ、自分の主張らしきものがありません。説得力がありません。

つぎはテレビ朝日は、「サンデーLIVE!!」(8/6)です。

MCの東山紀之が現地取材をし、中沢啓治夫人と被災地を訪れます。

東山紀之はジャニーズ出身、それもジャニー・喜多川に、路上で直接スカウトされた、という伝説のタレントです。

歌とダンスをやらなくとも、しゃべりと気品と容姿で、いまや日本を代表するニュース・キャスターの一人になっています。

東山がやれば、なんでもフンフンとうなずける話になります。タレントの強みと怖さです。

余談ですが、東山が番組の中で、ぼくは小さい時から『はだしのゲン』を知っていたと言いましたが、川崎市越中学出身の彼が実際に読んでいたかは、疑問です。まあ問題の本質ではありませんが。

いずれにせよ、東山クンが読んでいたと聞いて、何百人何千人のファンが『はだしのゲン』を手にしたに違いありません。

サンデーLIVE!!」では、『はだしのゲン』の教材からの削除を、ほんの一言しか触れませんでした。

まあいずれにしろ、『はだしのゲン』は広島市教育委員会の意向で、教材から削除されました。

何が問題なのでしょか。わかりません。

それ以上に問題なのは、『はだしのゲン』の「削除」を問題にした、「NHK」と「テレビ朝日」です。

そこにメディアの思想性が現れています。

NHKテレビ朝日は、「天皇制ファッシズム」(コミンテルンの用語+GHQの用語=マルクス主義者の用語)の亡霊に、取りつかれているのではないでしょうか。

日本史の研究では、羽仁五郎遠山茂樹井上清などマルクス主義者の「天皇制ファッシズム」の主張が、伊藤隆古川隆久御厨貴の昭和史の研究によって否定されています。

さらには世界的には、人類の普遍原理だとされてきた自由、平等、基本的人権、民主主義のリベラリズムの思想が、ユヴァル・ノア・ハラリ、ヨラム・ハゾニー、エマニュエル・トッドにより、「白人帝国主義」、「リベラリズム帝国主義」として疑問視され、グローバルサウスの国々に影響を与えています。

話がそれますが、これがウクライナ情勢を複雑にしています。原爆投下を招いたのは「天皇ファシズム」ではなく、米国の「リベラリズム」だと言うことができます。

驚く当たりません。インディアン(ネイティブ・アメリカンという用語はリベラリズムの欺瞞)と黒人奴隷は米国の独立宣言にあるリベラリズムの思想で殺戮されています。

「悪」の保守・反動の思想が、「善」のリベラル思想の『はだしのゲン』を削除したとの主張は、前近代的な「悪」の日本人には原爆を投下すべきだ、という「善」のリベラリズムの主張をするのと同じになります。

GHQ占領政策の基本になった『菊と刀』(ルース・ベネディクト)は、皇室を崇拝し神社に参拝し花鳥風月を愛でる日本人を、幼稚な未開人として見下しています。

思想は自由です。NHKテレビ朝日がどのような主張をしようと自由です。

しかし被爆者の体験は絶対的なものですが、被爆者がその後に抱くいたったイデオロギーとイデオロギッシュな平和思想は、相対的なものです。被爆体験と同じように平和思想も絶対だということにはなりません。

 

4、「原爆を許すまじ」

私には、二人の広島出身の友人がいます。

ひとりは中沢啓治と同じ1939年生まれの被爆者で大学の先輩です。大学とは遠山茂樹が日本史を教えていた横浜市立大学です。

先輩は歌が好きで、広島で行われたNHKのど自慢で「長崎の鐘」を歌い、鐘を三つ鳴らしました。

予選に応募するときに、「被爆体験を込めて歌いたい」とNHKへのハガキに書いたから、出場できた作戦勝ちだ、と博報堂の広告マンらしく自慢していました。

カラオケでも「長崎の鐘」を歌いました。うまかった。ジーン、必ず泣かされました。

しかし先輩は左翼でもマルクス主義者でもありませんでした(2年ほど前不慮の事故で亡くなりましたが)。

余談ですが、横浜市大は「マッカッカ」な大学でした。

『昭和史』の遠山茂樹だけでなく、学長は「鎌倉アカデミア」の三枝博音、日本文学は『万葉私記』の西郷信綱社会学は『現代社会学批判』の早瀬利雄、経済学はマルクス経済学の古沢友吉・・・。

マルクス主義者を育てるような大学でした。

因みに私は、遠山先生の日本史の試験「日本のファッシズムの特徴を論ぜよ」で90点をいただきました。先生の試験は、難関中の難関といわれていました。なのに先生から「文章が論理的でよい」をおほめいただきました。私は19歳にして堂々たるマルクス主義者でした。

学生運動も盛んでした。自殺した中核派の活動家で、遺稿集『青春の墓標』で話題になった、奥浩平が同級生にいました(奥浩平とは都立青山高校でも同級生)。

そして大学で、長田新の御子息である長田五郎先生に出会い、『原爆の子』を知り、吾が事ではない「紅旗征戎(こうきせいじゅう)」に関わるようになります。

もうひとりの友人は、厳密には広島出身ではありませんが、岩国(江田島の対岸・山口県)の小中学校に通った仕事仲間の40代のスタイリスト(CM制作でタレントのコスチュームをアレンジする仕事)の女性です。

彼女は『原爆の子』、『はだしのゲン』をあたりまえのように、よく知っていました(東京生まれの私には驚き・・・)。

彼女は、8月6日の臨時登校がイヤだった、とすぐさま言いました。なにがイヤかって、被爆者の悲惨な写真、映像を必ず見せられるから。

でも彼女は、戦争は絶対やっちゃいけないよ、とさりげなく言いました。

彼女が言いたかったのは原爆の悲惨さなのでしょうが・・・(私は8月6日の臨時登校に驚いていました)。

彼女は、撮影の打ち上げに欠かせない歌姫ですが、さすがに「長崎の鐘」を歌いません。

広島をめぐる不思議があります。

広島には、有名なポップ・ミュージックの歌手がいますが、だれも反戦歌を歌っていません。

フォークソング吉田拓郎(1946~)、ロックの矢沢永吉(1949~)。そしてテクノポップ・グループのパフューム(樫野有香1988~、西脇綾香1989~、大木彩乃1988~)。

彼ら彼女らは、広島を代表するだけでなく、日本を代表するミュージシャンですが、反戦歌、原爆の歌、平和の歌を歌っていません。

何故でしょう。

平和教育の失敗、があるのではないでしょうか。日本では、あたりまえに平和を祈願することが、イデオロギッシュなマルクス主義的な主張をすることに、なってしまうからです。

ボブ・ディランの「風に吹かれて」、ジョン・レノンの「イマジン」のような反戦歌を、私たちは世界唯一の被爆国なのに、産むことが出きていません。・・・残念です。悲しいことです。

あっ、そういえば、忘れてはならない、忘れていた歌を思い出しました。この歌を、このおしゃべりの締めにしましょう。

歌声運動から生まれた曲、カラオケで歌うのはヤボですが、詞も、メロディも好きです。

今日は8月15日、78回目の終戦記念日、だから歌いましょう。

「原爆を許すまじ」です。

 

ふるさとの街 やかれ 

身よりの骨 うめし 焼土(やけつち)に 

今は 白い花咲く

ああ許すまじ原爆を 

三度許すまじ原爆を 

我らの街に 

(「原爆を許すまじ」 作曲:木下航二 作詞:浅田石二 1954年)

 

2023年8月15日 終戦記念日

end

 

追記。映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督)が話題を呼んでいます。日本公開がないなら、台湾に行ってでも見たいものです。