THE TED TIMES 2023-35「椿姫」 9/21 編集長 大沢達男
ローマ歌劇場『椿姫』で、俄然輝いていたモンゴル歌手、アマルトゥブン・エングバート。
1、開演前
早く会場に行って、ロビーで観客ウオッチングを楽しもうとしていたのですが、何だか遅れてしまいました。
1分でも早く、と新宿から神田経由で上野に向かおうとした、のですがなんと中央線が不通。
とんでもないことになってしまいました。
もちろん山手線経由で開演には間に合いますが、会場の東京文化会館は、駅のまん前でホント、ホッとしました。
席は4階R2列15番。4階まで階段を上り、開演の15分前に、なんとかたどり着きました。
出演者のアップは、オペラグラスで、翻訳の日本語字幕は、オペラグラスなしで、なんとか判読できました。
東京文化会館は前川国男の設計で、1961年に完成していますが(ですから何度も訪れている)、もう古臭い。トイレに和式があるのに驚きました。
大ホールの席はたったの2300席、これでは4階席でも37,000円になるわな、と妙に納得しました。
肝心の音は悪くありませんでした。
2、一幕
オペラ『椿姫』の原題は、『La traviata (ラ・トラヴィアータ)』、「道を踏みはずした女」になっています。
それがなぜ椿姫かというと、原作小説が「仏 La Dame aux camelias」だからです。カメリアとは椿の学名です。
ドラマは主人公の娼婦ヴィオレッタでの家での豪華なパーティーから始まります。
そこでヴィオレッタは、来客のアルフレードと知り合い、恋に落ち、アルフレードとともに歌います。
(アルフレード)
♬
酒を味わおうではないか、たのしい乾杯で
美が花を添える(乾杯で)。
そして、はかなく去っていく時が
快楽で酔い痴れるように。
酒を味わおうではないか、恋が呼び起こす
甘いときめきの中で、
あの抗しがたい眼差しが
この心まで届くゆえに。
(中略)
(ヴィオレッタ)
♬
皆さま方の間にいると、私は自分の楽しいときを
ともに分かち合うことができますの、
この世の中では、喜びでないものは
すべて愚かなものなのですわ。
楽しみましょう、儚く疾くと
去っていくものですよ、恋の喜びは、
(後略)
アルフレード・ジェルモンを演じたのはジェノバ生まれのイタリア人のフランチェスコ・メーリ(43歳)。
ヴィオレッタ・ヴァレリーはキューバ人を両親生まれたアメリカ人のリセット・オロベサ(40歳)です。
ここだけの話ですが、ヴィオレッタの「エロ」は、ちょっと足りませんでした。
絶対にこんなことを言ってはいけないのですが、マリア・カラスだったらと、思わず想像してしまいました(ネットにわずかにあるマリア・カラスの歌唱を聴くと別格)。
なぜ日本人がみな、「乾杯の歌」を知っているのか、わかりません。
文明開化のなかで文部官僚が教科書に載せたのでしょうか。
それとも浅草オペラ(1917~1923)の影響でしょうか。
3、二幕
二幕の圧巻は、アルフレードの父、ジュルジョ・ジェルモンを演じるバリトン歌手アマルトゥプシン・エンクバートと登場です。
「モンゴル人は歌うことが大好きで、広い草原や山々、果てしなく続く風景に囲まれていると、思わず心を込めて歌わずはいられなくなるのです」
その通りです。エンクバートは圧倒的響きで、コンサートホールを鳴らしました。
(ジョルジュ)
♬
プロヴァンスの海と大地を、誰がお前から消し去ったのだ?
故郷の輝く太陽から、どのような運命がお前を奪ったのだ?
おお、苦しみあっても思い出すがよい、そこではお前に喜びが輝いていたことを。
そして、そこだけ、平和はお前の上で変わることなく輝きうるのだということを(思い出すがよい)。
神が私を(ここに)お導きくださったのだ。
♬
娼婦にうつつを抜かす息子アルフレードを父が戒めた歌です。
ネットでいろいろなバリトンの「アルフレードの父」の歌が聴けますが、エンクバートの匹敵する歌手はいません。
それだけよく鳴っていました。
4、三幕
インターミッションは一幕と二幕の間が30分、二幕に前後半の間に20分、そして二幕と三幕の間に20分ありました。
一回のロビーに降りて観客ウォッチングに行きました。
イタリア人はかっこいい。スーツの着こなしが違いました。
カクテルドレスの女性がいました。男性は、会社の重役と思しき、恰幅のよい人がたくさんいました。
みなシャンパンでしょうか、白ワインでしょうか、手にして束の間の安らぎを楽しんでいました。
残念ながら、私は誰にも声をかけられず、知り合いに会うことも、音楽関係者と黙礼することも、ありませんでした。
時代が変わりました。
(ヴィオレッタ)
♬
さようなら、過ぎし日々の美しく楽しい夢よ、
頬のバラの花もすでに蒼ざめてしまっている。
(今は)私にはアルフレードの愛さえもない、
疲れた魂の慰めであり、支え(であるのに)・・・・・
ああ、道を過った女の願いに微笑みください。
彼女にお願いです、お許しを。おお神よ、彼女をお受け入れください。
今やすべては終わってしまったのだ。
♬
こうしてヴィオレッタは息を引き取っていきます。
“Or tutto fini!” の最後の長く響く、ビブラートが心に残りました。
5、終演後
歩いて上野に出ました。
間違いでした。人が多い。静かなレストランなどない。しかも暑い。
やむなく歩いて湯島へ、そして地下鉄で根津のイタリアン・レストランへ。
偶然にもリースリングの白ワインにありつけました。
ほんと幸せ。
で、少し余裕ができて、上野に向かう途中の隣の二人の会話を思い出していました。
「何度も『椿姫』観ているけど・・・今日のセットはよかったね」
「そうそう、とってもシンプルでね」
へーそうなんだ!と私は思っていました。
今回の感想。
1)ジュルジョ・ジェルモンを演じるバリトン歌手アマルトゥプシン・エンクバートに出会えたこと。
ラッキーでした。彼自身の調子、出来栄えもよかったはずです。
2)ヴァレンチノに衣装は素敵でしたが、演出のソフィア・コッポラとは出会えませんでした。
わざわざ盗撮用のカメラを持っていたのに不発、残念でした。
3)観客ウォッチング。
一幕や二幕のパーティー・シーンに登場する人物はだけでも、70~80人、みなイタリア人。
それにオーケストラ、ダンサー、美術スタッフ、合計200名近くの来日になるはずです。
チケットが高くなるのは当たり前です。
2万円から5万9千円のチケットは、2人なら4万円から11万8千円、誰もが買えるものではありません。
みんなが買えないチケットを日本のセレブが買っています。
オペラ『椿姫』の初演は1853年。日本は江戸時代でペリーの黒船来航に大騒ぎしている時でした。
あれから200年、日本人のセレブたちは相変わらず文明開化で、娼婦と貴族のお坊ちまの話に興味があるようなふりをして、金持ちの勲章としてオペラに来ているのではないでしょうか。
いつか、ミラノかローマか、できればシチリア島のパレルモ・マッシオ劇場で、オペラの観客とその舞台への反応を目撃したいものです。
きっと、日本でのオペラとシチリアでのオペラは、別種のエンターテイメントだ、との印象を持つはずです。
(音楽を存分楽しんでおいて、そんなヒネた、ヘソ曲がりの感想は卑怯。この項取り消し)。
ともかく日本では、2023年9月16日土曜日15時から18時30分まで、上野の東京文化会館で、
みながみんな、ヴェルディの泉のように湧き出るメロディに、感激していました。
ブラボー! ブラヴィッシモ!
もとは取りました(笑)。満足でした。
End