遼クンさようなら、また会う日まで。

THE TED TIMES 2023-47「石川遼」 12/12 編集長 大沢達男

 

遼クンさようなら、また会う日まで。

 

1、サンデー・バックナイン

ゴルフ日本シリーズの初日(11月30日)、遼クンは-2(ツーアンダー)で回りました。トップ・グループではないけれど、いい出だしでした。

ゴルフ好きの友人からメールが来ました。

「今日は応援に行っていたんすか?」

「遼クンはとてもいいと思います。」

「今日は仕事、明日はライブ、明後日はたジャズの勉強コンサート、読売カントリーに行けるのは、最終日のみです。サンデーバックナインに期待します」

と、返信しました。

友人への夢のメールは現実になりました。遼クンは3日目になんと62を出し、トップの13アンダーの二人に続き3位にまで順位を上げてきました。

トップは蝉川泰果(せみかわたいが 22歳 75㎝)と中島啓太(なかじまけいた 23歳 178㎝)で、人気者の二人です。相手にとって不足はありません。

 

2、遼クン

新百合ヶ丘に行ったのは8時半、ゴルフ場への無料バスの列は、200人から300人ありました。

20年ほど前から日本シリーズに通っていますが、ちょっと混んでいました。ほとんどの人が遼クン目当てだとすると、これはまずいと直感しました。

コースは予想の通り大混雑。気づいたことがあります。

女性が減り、男性が増え、脚立(補助椅子)を持っている人が目立つ、その分見にくくなりました。

さて1番ホール、遼クンはティーショットをいきなりバンカー入れました。

それはそれでいいのですが、フェアウエイのタイガ(川)のボールはそのバンカーから2~30ヤード先にあったことです。

遼クンは出すだけ、寄せもよらず2パットのボギー、タイガはなんなく寄せたてバーディーでした。いやな予感がしました。

絶望は3番ホールで早くも決定的になりました。

持ったクラブが違ったのかもしれませんが、遼クンの第1打は左に曲がるコーナー、タイガはなんと左曲がって坂の中間、ホールへの寄せの距離にありました。

この距離の差は、上手いとか下手とかの問題ではありません、次元の違いです。

ジャンボ・尾崎の頃から、何人ものプレーヤーを読売で見ていますが、ティーショットをあそこに置いた強打者はそんなにいません。

それでもアウトは先行の二人が14アンダーで遼クン13アンダー、理想的な展開で、サンデーバックナインを迎えることになりました。

でも、遼クンを応援するのが、だんだん辛くなってきていました。

まずドライバーでタイガに20~30ヤードおいていかれることです。ダウンスロープのところでは軽く50ヤードはオーバードライブされています。

セカンドの勝負だ、寄せがうまい、などと言っている場合ではありません。

遼クンとタイガは、次元(ディメンジョン)が違うゴルフをしています。残酷な言い方ですが、高校野球プロ野球です。

同じことはケイタ(中島)にも言えます。

実はスタート前のケイタを練習を最前列でじっくり見ています。

むかしアーノルド・パーマーのプライベートな練習を、ベイヒル・オーランド・フロリダで、誰にも邪魔されず、目の前で見たことがあります。

打ち出された球が2段3段ロケットのように、グーングンと加速しながら飛んで行きます。

ケイタはパーマーさんのような球を打っていました。飛距離でももちろん遼クンを10~20ヤードはおいていきます。

結局優勝はタイガ、遼クンは前日より11ストロークも多い73で、悲劇のサンデー・バックナインになりました。

私の夢も終わりました。

 

3、パパ

いままでコースで何度かパパを見かけました。パパの解説も聞きました。話したこともあります。

今回もパパに会いました。でも知り合いではありませんから、挨拶はしません。

パパには、頭が下がります。特別なパスを首からぶら下げていません。一般人とまったく同じ、大混雑の中を歩いています。

遼クンが読売に始めてきたのは16歳の時でしょうか。そしていまは31歳、ですから15年も変わらずパパは遼クンのラウンドに付き合っていることになります。

持続する情熱、素晴らしいと思います。今年は遼クンのマネでしょうか。ちょびヒゲを生やしていました。

タイガー・ウッズは父親にゴルフを教わり父親に育てられました。そして31歳の時に父を失い自立しています。

遼クンはどうでしょう。パパにはいつまでも元気でいて欲しいけれど、自立していますか。

翌日の新聞で、遼クンはこのオフは筋トレそして飛距離を伸ばすと、報じられていました。

可能ですかね・・・。

遼クンは終わっているのではないでしょうか。