映画『哀れなるものたち』を見て、途方もない虚しさに襲われました。

THE TED TIMES 2024-07「『POOR THINGS(哀れなるものたち)』」 2/14 編集長 大沢達男

 

映画『哀れなるものたち』を見て、途方もない虚しさに襲われました。

 

1、『POOR THINGS』(ヨルゴス・ラモンティス監督 イギリス・アメリカ・アイルランド合作)

映画『哀れなるものたち』の原題は『POOR THINGS』(ふつうは「かわいそうに」と日本語にされる)で題名の中に「POOR」(貧しい)という単語が入っています。

ところがどっこい映画は、「wealthy」(裕福な)、「rich」(金持ちの)という言葉が似合うような、豪華なものです。

私が惹かれたのは、主人公の女性ベラ(エマ・ストーン)と旅をする男性ダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)が着ていたジャケットです。

船の中では、黄金のジャケットでした。

もちろん金ではありません。黄色と茶色の中間、絹が織り込まれているような厚手の生地の上着です。

中には同系色のタブルのベストを着ていました。

かっこいい。ダンカンの仕事は弁護士ですが、女遊びが職業のような伊達男(だておとこ)でした。

ダンカンは船の中で黒人の青年に会います。

黒人は襟に赤のスカーフをのぞかせた黒のジャケット。これもスリムな体型を想像させクール、かっこいい。

さらにダンカンは別のシーンでグレーの地に白のストライプのスーツを着ます。

弁護士といわれば、うなづかざるを得ませんが、どう見てもジゴロ(gigolo=ヒモ)にしか見えません。

スタイリッシュ。これもかっこいい。

映画のプログラムの解説ではベラのドレスが素晴らしいとありますが、私は男性のジャケットに注目していました。

「背広」という言葉は、ロンドンの紳士服街のセヴィル・ローズ(Savile Row)から、あるいは市民を意味するシビル(Civil)からです。

ジャケット、スーツといえばイギリスです。

昔、ロンドンを拠点とするメンズファッションの「トップマン(Topman)」というブランドにハマり、数年にわたりスーツを10着ほど購入しました。

いずれも満足、型紙がいい、伝統があります。以来スーツはイギリスという考えは揺らぎません。

ダンカンのジャケットに拍手です。

 

2、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞

コスチュームがリッチですが、セット(美術)もリッチでした。なかでも船のバックに見える雲が素晴らしかった。

天候が荒れ狂う寸前のドラマティックなものです。

ベートヴェンの田園交響曲の第4楽章で、突然のどかな田園が、雷雨と嵐に襲われますが、あれです。

映画で嵐はやってきませんが、恐ろしいほどの緊迫感があります。

音楽も全体を通していい。

映画の音楽はむずかしい。いい音楽を連ねても雑音になるだけ、映画は音楽的になりません。

音楽映画なのに音楽がピリッとしない日本映画『白鍵と黒鍵の間に』を見たばかりでしたので余計に印象に残りました。

映画『哀れなるものたち』の音楽の使い方に、YES!、です。

ひとことで言って映画『哀れなるものたち』の「映画IQ」は高い。

撮影、照明、美術、CG、衣装、編集、そしてMA・・・スタッフ全てがいい仕事をしています。

だからヴェネチアで金獅子賞になったのです。

***

しかし分からないものです。

LOVEと前戯のない機械的なセックス・シーン・・・エロを感じさせない性に関する露骨なトーク・・・を聞いているうちに、

初めは声を出して笑っていたのですが、急に虚しさにとらわれ始めました。

映画って何?。

私は何を見るために、ここに来ているの?。

死んだ母親の脳に彼女が産んだ新生児の脳を移植し再生させるという話。それがどうしたの?

ベラの肉体は大人なのに精神は子供。だから一緒に旅をするダンカンは精神的にゼロのベラを成長させなければならない。セックスの快楽すらも・・・。

へんてこりんな外国人ふたりの旅に、私はわざわざお金を払ってまでして、同行しなければならないの?。

・・・・・・。

映画館で、プアではないリッチな時間を過ごしていたはずなのに、その時間は音を立てて崩れ始めました。

 

3、19世紀のイギリス

ベラとダンカンは、旅の途中でアフリカのアレクサンドリアに寄航します。

そしてベラは、現地の人々の悲惨な生活を目撃し、ダンカンがギャンブルで手にした巨額の金を、プレゼントするというシーケンスがあります。

そのあたりで、私の神経はプチンと、切れたました。

映画の舞台は19世紀後半のイギリスです。

おいおい、イギリス人よ、あのころ君たちは、アジアで何をしていたのだよ。

いまさらヒューマニストぶって、自由だと平等とか、やめてくれ。

私は心の中で怒鳴り始めていました。

イギリスは1600年から東インド会社を設立しインド人を搾取してきました。

1857年のインド大反乱セポイの乱)では、老人・女子・小児などを血祭に挙げ、ムガル帝国を滅ぼし、イギリス領のインド帝国を成立させています。

イギリスは中国でも、中国人をアヘン中毒にし、1842年の不平等条約南京条約をむすび、中国国家を解体しています。

なぜそんなことをしたか、イギリス人は「科学的に正しい」ことをしただけです。

「北欧系に比べて、ほかの『人種』は知能能力は低い」。「動物の品種改良ができるなら、人間の品種改良もできる」。

19世紀のイギリスは、ダーウィンの『進化論』を生み、「優生学」で世界に冠たる「科学」の国でした。

映画はエンディングでなんでも銃で命令する紳士を登場させます。あれこそがまさにイギリス人でした。

「POOR THINGS(かわいそうに)」で「POOR DEVIL(哀れな人)」です。

***

ところで私はスーツを数着持ち、いまだに伊達男やジゴロに憧れています。

現在の世界では背広が標準服で、着ないのはインド人とアラブ人です。

私と私たちの知らない未来が、世界を待ち構えています。